中島平四郎 なかじまへいしろう 大正9年10月19日生 平成21年1月1日没
太平洋戦争従軍記  中島平四郎の記録
昭和14年8月ごろ技術徴用令で東京に行った時から、昭和20年11月に大陸から帰国するまでの記述である。
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技術徴用  応召までの期間 昭和15年頃 昭和16年頃
応召、入隊日、その前日 昭和19年9月13日、14日
部隊を出発 昭和19年9月17日
下関出港 昭和19年9月20日
釜山から牡丹江までの移動 昭和19年9月20×日〜24日
代筆、新兵教育、腸チフス、便所、赤子 昭和19年9月24日〜
脱走兵 昭和19年9月〜昭和20年3月
幹部候補生への道 昭和19年9月〜昭和20年3月
週番士官との会食 昭和19年9月〜昭和20年3月
甘味品と新兵 其の一、其の二 昭和19年9月〜昭和20年3月
氷の搬出と云う作業 昭和19年9月〜昭和20年3月
感想文の代筆 昭和20年3月下旬
済南陸軍病院に入院 昭和20年4月1日
終戦直後のころ 昭和20年8月
糧秣廠 天津に一〇日間ぐらい滞在したとき 昭和20年9月頃
スキヤキ 北京の精華苑大学に滞在したとき 昭和20年10月頃
帰還 北支塘古港〜佐世保港 昭和20年11月24日〜29日
■ここに掲載した文章は、平四郎が70歳を過ぎた頃(平成3年頃)、長男の要請に応じて、常々酒席で話す戦争体験を記述したものである。
■内容は、太平洋戦争後半に徴兵され、中国大陸での鉄道工兵の生活を記述したものである。
■記憶に残っていることを断片的に書き出したもので、平成3年8月29日から平成4年2月12日まで、合計5回に亘って長男の許に郵送されてきたものである。
■平四郎が自ら書き下ろしたもののほか、長男が酒席で聞いて記憶していた事柄を書き出したものも掲載している。平四郎は、これらの文章を読んで駄目とも良いとも言わなかった。
■ここでは、平四郎が書き下ろした文と長男が書き足した文とを併せて、時系列で掲載している。
■平四郎書き下ろし文には、長男が受稿した日付を記載して区別した。
■史実に照らしての時代考証は一切していないことをお許し願いたい。
■平四郎は筆記することに長け、かつそれを好んでいたので、感情の高揚はあっても、事実についての歪曲は無いと信じる。
■やや自慢話もあるが、興味深い情景の描写もあるので、読んでみていただきたい。
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