■太平洋戦争従軍記  中島平四郎の記録■
(帰還 北支塘古港〜佐世保港)
     昭和二〇年十一月二十四日〜二十九日

 上陸用舟艇の米艦LST625号で日本に帰るときが来た。

 LSTには千人ずつ乗せられて、三隻で日本に向かった。
 日本兵は窓のない風通しの悪い舟底に押し込められて、アメリカ兵達は甲板でコーヒーなどを飲みながら気楽に兵員護送の任に就いている。

 日本に着くまで六日ほどかかったように思うが、夜になると、アメリカ兵達が甲板で映画をスクリーンに映して楽しんでいるのが舟底に居ても分かった。
 舟底の日本兵達は体調の悪い者が舟の揺れに合わせて、舟底をころげ回って、あちこちの出っぱりで頭や肩をぶつけて、全く悲惨で可哀そうであった。

 多少黄海での航海に経験のあるものは、不安感から、
 「日本に行くなら、こんなに時間がかからないぞ」
とか、
 「日本じゃない別の所へ抑留されるぞ」
とかいうデマを流したりするものである。

 日本に帰れるという安心感から、軍隊時代の恨みを晴らそうという気持ちが高ぶって来るのもそんな時である。

 元気な兵隊の中から、突然のように、
「大島はどこにいるか?」
「大島をさがせ!」
と、一〇人くらいの兵隊の一団が、船内を動き回っていた。
 そのうち、
「大島の将校行李があったぞ!」
と言う声が上がったかと思うと、大きな二つの行李を海に捨ててしまった。

 彼らは、日本に着いてからも、くだんの中隊長を探していたが見つからなかったようである。
 
 (長男記述)
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