■太平洋戦争従軍記  中島平四郎の記録■
(終戦直後のころ)     昭和二〇年八月

 アメリカ軍が駐屯地を明け渡すように言って来た事があった。
 しかし、毛沢東率いる八路軍が頻繁に攻撃していたので、敗戦軍である日本軍は危険なため駐屯地を離れることはできないと申し入れると、アメリカ軍は駐屯地周辺の八路軍陣地らしき辺りを四・五日戦闘機で激しく威嚇飛行してくれたことがあった。
 ようやく、八路軍の攻撃がなくなったので、我が部隊は駐屯地を明け渡して移動することになった。その時、アメリカは大した物だと思ったものである。

 移動の時、兵隊はトラックにぎゅうぎゅう詰めに乗せられ、兵隊の荷物は別のトラックに山積みされロープでぐるぐる巻きにして移動するのである。
 荷物はうず高く積まれているので、誰か荷物の上に乗って監視しなければならないことになり、上官が「誰かやれ」と言ったとき、私は人間の寿司詰めより荷物の方がマシだと躊躇なく志願し、荷物の上で仰向けにロープにしがみついて移動した。
 このとき、夜中に見えた星空の美しさは、格別であった。
 
 (長男記述)
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■太平洋戦争従軍記  中島平四郎の記録■