■太平洋戦争従軍記  中島平四郎の記録■
(週番士官との会食)

 月に二回位であったか、夕食時、週番士官との会食と云うのがあった。
 これは、今風に云えば、士官(准尉)と班員(古年兵も含めて)全員とのコミュニケーションをはかるためのものである。
 内務班のあらゆるところを、掃き清め、拭き込み、そして食事をアルミ容器に配分し、士官の来るのを待つのである。

 士官だけは、アルミの角盆に、飯、おかず(何であったか忘れた)そしていつも決った様に黄色いタクアンを二切か四切を小皿に入れていた(間違っても一切・・・人斬れ、三切・・・身切れと、縁起をかつぐので、何度も数をかぞえた。余談になるが、一度古年兵のタクアンが三切で大さわぎになり、新兵全員が張り倒されて、その後はれ上った顔で飯を喰った事があった。)。

 さて、問題はみそ汁にあった。
 士官が全員起立しているところへ入室し、全員二列に食卓に向いあっている正面に着席した。
 古年兵の一人が、
「全員〇名、**週番士官殿と会食させていただきます。」
と、まるでお礼のような事を云うのである。
 士官は、
「ご苦労、食ってよし!」
と云うが、士官が箸をつけるまで誰も食べられないのである。

 士官が、みそ椀を手にとり箸を入れたが、様子がおかしい。全員はジッと士官を見ているのだ(早く食いたいと思い乍ら・・・)。
 みそ汁の具は白菜の切ったものであったが、士官は、
「ナンジャこれは!」
と云って、箸に突き刺して自分の顔あたりに持ち上げたのは、ナント椀一杯位の白菜の大きなヘタ株であった。
 思わず小生は息を呑んだ。全員同じであったろう。
 士官は、
「無礼者!」
と一言。盆の上に件んのモノを投げつけ、サッと引きあげてしまった。

 そんな筈はない、特に士官殿や古年兵殿の分は充分に気をつけているのにと悔やんでもあとの祭り(後先になったが、メシの盛りつけ、その他一切、新兵の仕事である)。
 サア、大変な事になったと思う間もなく、古年兵が例によってワメキ出した。
 班の不名誉だ、とか俺達の顔にドロを塗りやがったとかで、全員連帯責任でリンチみたいないじめを浴びた。

 もうこの時分になると、小生も含め、馴れっこになってしまっているので、殴られても痛いとか云うのは余り感じなかった様で、それより早く食いたいし、後仕事がたくさんあるのにとその方が気がかりだった様に思う。

 ただ、小生のカングリだが、どうもあのヘタ株は、新兵がコマ鼠の様に動いているので、古年兵が隙をみていやがらせをしたと思う。
 何んせ奴らはゲーム感覚でいる様だから仕末が悪い。古年兵はヒマだからこんな事をやるが、これも自分等がやられたのをやっているだけだろうが、新兵はタマッタものではない。
 
 (平成3年8月29日受稿)
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