■太平洋戦争従軍記  中島平四郎の記録■
(スキヤキ 北京の精華苑大学に滞在したとき)
           昭和二〇年一〇月頃

 毎日バリカンで四〇人ぐらいの兵隊の頭を丸刈りにしていた。
 戦争中に壊した大学施設の修復作業の使役で、襖や障子の張り替え、土をこねて壁を積んだりするよりはマシだと思っていたのだろう。

 なにがどうだったのか判らないが、ある時、伍長が、
「大島中隊長どのがお呼びであるぞ!」
と云うので、中隊長の部屋に出向いて行った。
「中島!いろいろ世話になったな」
といって、スキヤキで歓待してくれた。

「自分には、覚えがありませんが」
と言っても、中隊長は気に留めず、スキヤキを食えといい、酒も出してきた。
 止むを得ず、お相伴にあずかることにしたが、どうも世話をしてくれている伍長が可哀そうである。中隊長と一等兵が差しでスキヤキ鍋をつっつき、酒を飲んでいるのである。

 伍長は、中隊長の付き人で身の回りの世話を全てやっているのである。
「中隊長どの!伍長どのも御一緒できないのでありますか?」
「そうだな、**も一緒にやれ!」
ということで、その後は三人で、たら腹食ったのであるが、今だに、あの大島中隊長が、何故、私を歓待してくれたのか理解できない。

 もちろん、満腹して大部屋に戻ったときは、そんな事があったとは、誰にも気づかれないようにしていた。
 
 (長男記述)
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