■太平洋戦争従軍記  中島平四郎の記録■
(糧秣廠 天津に一〇日間ぐらい滞在したとき)
              昭和二〇年九月頃

 陸軍の食料や消費財を蓄えてある施設(糧秣廠)内に滞在していた。

 そろそろ、甘いものなどが恋しくなってきていた頃だったので、倉庫内を物色して、あずきや砂糖が沢山あるのを見つけ、飯合に一杯の”亀山”を作り、一人で八分目ぐらい食べてしまったことがあった。
 タバコも中国やアメリカ製のあらゆる種類が揃っていたように思う。そのタバコを一口吸っては捨て、一口吸っては捨てし、吸いまくったものである。

 既に敗戦軍であったのに、満州方面から二〜三〇〇人の民間人が糧秣廠に来たときには、追い払ってしまい、一人も中に入れなかった。ほとんどが女性だったように記憶しているが、彼らのその後は悲惨だったのではないだろうかと、今でも思う。
 
 (長男記述)
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■太平洋戦争従軍記  中島平四郎の記録■