■青森県写真集■
青森県の 『津軽地方 』 の写真を集めたページです。
2006年、2007年、2008年の3年間に撮影しました。
   <弘前城さくら> 青森県弘前市 弘前城 2006年 5月 3日,4日,6日撮影
2006年の春は遅かったようで、ゴールデンウィークに弘前城の桜の見頃がピッタリ一致しました。
さっそく、5月3日は朝から行ってみました。外濠沿いの桜は満開に近いようでしたが、本丸では三分咲き程度でした。特に、西濠の桜のトンネルはつぼみが膨らんだばかりに見え、対岸の桜がほぼ開いているのと対照的でした。
5月6日に行ってみると、シダレザクラ以外はほとんど満開の状態で、花吹雪も見られました。
3日は快晴の陽射し、6日は花曇りという状態だったので、十分には開花していない3日のほうが鮮やかな名写真になりました。
夜桜の写真を別のページに掲載しました。→夜桜
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
弘前城本丸、下乗橋、内濠。
弘前城の濠に架かる橋はどれも朱が鮮やかです。
弘前城の天守や隅櫓はどれも端正で桜が似合います。
弘前城の濠に架かる橋はどれも朱が鮮やかです。
弘前城の濠には桜の枝が伸びています
弘前城本丸には枝垂れ桜がたくさん配されています。
弘前城は一つ一つの配役に存在感があります。
西濠は広々として人々が遊びます。
桜のトンネルと屋台。
弘前の桜は一房にたくさんの花が付いていると言われています。
弘前城の桜を堪能できました。
<夜桜> 青森県弘前市 弘前城 2006年 5月 4日撮影
弘前城にはたくさんの照明施設が設置されています。
陽が沈んでライトアップされた桜は濠に映って幻想的な雰囲気になります。
三脚を持っていなかったので、手持ちで精神統一してシャッターを切っています。
昼の桜の写真を別のページに掲載しています。→弘前城さくら
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
二の丸をそぞろ歩く人々。中濠に映る桜。
天守横の御滝桜。内濠の下乗橋と桜。
天守横の御滝桜。内濠の下乗橋と桜。
天守横の御滝桜。
<梅の花> 青森県板柳町 2006年 5月 7日撮影
青森では梅と桜は同時に咲くと聞いていましたが、本当でした。
「弘前さくらまつり」が最盛期のころ、津軽平野の里を走ってみると、格好の良い梅の木が満開でした。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
津軽平野の梅の樹形はまことに伸びやかです。。
桜と同時に満開になっています。
満開の梅の花は、しっかりと枝先に密生しています。
<津軽鉄道芦野公園駅> 青森県五所川原市金木町 2006年 5月11日撮影
芦野公園駅の桜が満開だというので出かけて行きました。
ストーブ列車や地吹雪ツアーで有名な津軽鉄道ですが、太宰治が生まれた金木町に桜がキレイな芦野公園駅があると聞きました。
鉄路の上をトコトコとやって来る列車の風情は何とも言えませんね。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
芦野公園駅15時19分発五所川原方面行きの列車がやって来ました。
芦野公園駅15時19分発五所川原方面行きの列車が出発しました。傾き始めた陽光を受けて桜が鮮やかです。
鮮やかな桜の中でカップルは踏切の上で記念撮影。良い感じです。
15時27分発津軽中里行きの列車が出発しました。
<リンゴの花> 青森県弘前市 2006年 5月20日撮影
青森といえば「リンゴ」ですね。一週間位前からリンゴの花が咲き、2、3日前には一気に満開になっていました。
弘前の里中はどこを走ってもリンゴの花で一杯です。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
リンゴの花びらはフワフワとして頼りなげです。ツボミには赤味がありますが、開くとほとんど真っ白です。
リンゴ園にはタンポポが咲き誇っていました。
今日は午後から晴れて暑くなりました。
岩木山の山頂の雲が徐々に取れて残雪に陽光が当たって白く輝き出しました。
山一杯のリンゴの木に花が咲いています。
リンゴ園の地表は柔らかな緑草に覆われています。
リンゴの木の姿。
   <田んぼアート> 青森県田舎館村 2006年 7月30日撮影
東北地方で初めて656枚のまとまった水田遺構が見つかった「垂柳遺跡」があることで有名な田舎館村で巨大な田んぼアートが見られるというので行って来ました。
朝からたくさんの人が訪れていました。クッキリ鮮やかに色が違っているのに驚きました。
実は、一昨日の夜、青森県の見どころの一つとして「田舎館村の田んぼアート」を挙げた居酒屋の女将に対して「インターネットで見られるから・・・」と言ってしまいました。なんたる軽薄・無神経かと、時間が経つほど恥ずかしさでいたたまれない思いに嘖まれています。罪滅ぼしというわけではないのですが、さっそく見てきました。インターネットの便利さと限界をわきまえられる人間であるよう肝に銘じております。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
田んぼに住んでるやんちゃ坊主たちといった風情に描かれています。
展望所から見て、全く違和感の無いよう描かれています。
平成7年に新築された田舎館村庁舎。左手前に田んぼアートがあります。
こんなに色の違う稲があることに驚きました。上の方がよく見かける色の稲(つがるロマン)です。
田舎館村の田んぼアートについて
「田舎館村むらおこし推進協議会」が平成5年から実施している「田植え体験ツアー」で描かれています。

平成5年〜平成13年まで、岩木山の絵と「稲文化のむら いなかだて」の文字を2,500平方メートルの水田に描く。
平成7年に高さ21メートルの天守閣(6階展望室)を持つ役場が完成し、田んぼアートを見る条件が整った。
平成14年岩木山と稲穂と月の絵と「稲文化のむら いなかだて」「つがるロマン」の文字を15,000平方メートルの水田に描く。10回目を迎えた記念として、「千人の力で田んぼに巨大なアートを創ろう」と謳い、NHK衛星放送の番組「熱血!ふるさと対抗千人の力コンテスト」で放映され「インパクト賞」を受賞した。
平成15年、レオナルドダビンチの『モナリザ』の絵をと「稲文化のむら いなかだて」の文字を3,500平方メートルの水田に描く。
平成16年棟方志功の『羅ご羅の柵』と『山神妃の柵』の絵と「稲文化のむら いなかだて」「つがるロマン」の文字を15,000平方メートルの水田に描く。
平成17年、東州齋写楽『2代大家鬼次の奴江戸平衛』と喜多川歌麿『歌撰考之部・深く忍恋』の浮世絵と「いなかだて つがるロマン」「思いやる心」の文字を15,000平方メートルの水田に描く。
平成18年、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」絵と「いなかだて つがるロマン」「大切な い・の・ち」の文字を15,000平方メートルの水田に描く。

役場の天守閣(展望室)は朝9時から午後4時半まで無料で開放されています。
   <立佞武多、タチネプタ> 青森県五所川原市 2006年 8月4日撮影
五所川原の立佞武多(たちねぷた)を見に行きました。

平成8年に80年ぶりに復活させたという「立佞武多」。
大正時代に電気の普及によって一度は姿を消した立佞武多であるが、平成10年には電線を埋設して市内練り歩きをも復活させた。
平成8年の復活と岩木川河原での運行が人々に与えた感動の大きさが伝わってくる。

高さ20m以上の巨人に見下ろされるのはなかなかの迫力でした。
囃子方や踊り手、跳人には女性や子供が多いという感じを受けました。
女性は胸にサラシを巻き、衣装も艶のある品の良い生地が使われているようでした。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
まず、直径3.2m、長さ3.6mの「あすなろ大太鼓」がやって来ました。
人々をはるかに見下ろす人形ネプタがやって来ました。
近くで見上げる人形ネプタは、眼光鋭く見下ろしています。
「手振鉦」通称「ジャガネ」や横笛を演る囃子方。
囃子方と観客とは一体。
跳人と囃子方が渾然
吉幾三さんも来てました。
岩木山ミニ知識
■立佞武多(タチネプタ)
明治末から大正時代にかけて、津軽半島と平野部を結ぶ交易の要衝として繁栄した商都・五所川原市では、経済力を持った町衆・旦那衆の力の象徴として、高さ20mを越える巨大なネプタが製作された。
電気の普及により高さ5mほどの低いネプタへと変化していった。
平成8年(1996)「立ちネプタ復元の会」が高さ20メートル、重さ7トンの巨大ネプタを製作。7月に岩木川河川敷で数十メートル運行し、「立佞武多」と命名。
■ネプタの由来
身についた罪や穢(けが)れを川や海の水で洗い清める禊ぎ(みそぎ)を目的とした行事が起源
農作業が忙しく暑さの厳しい夏に襲ってくる睡魔を追い払う「眠り流し」に変化
江戸時代、七夕祭り松明流し精霊流し眠り流し盆燈篭などが変化した。
簡素な角燈籠→人形の「組みネプタ」→扇型のネプタ、へと形態変化
流し」から「運行」や「練り歩き」を楽しむ形に変化しつつある。
■変遷
文禄2年(1593)藩祖為信公が京都の盂蘭盆会での趣向として二間 四方の大燈篭を作らせたとの伝承。
享保7年(1722)「御国日記津軽藩日記)」:五代藩主津軽信寿公が「称むた流」を高覧したとある。
安永7年(1778)「奥民図彙(おうみんずい)」:「子ムタ祭の図」で七夕祭りと説明。
天明6年(1786)「山田家記」:「七夕祭り、例年の通り賑々しく」とある
天明8年(1788)「子ムタ祭之図」:七夕祭、織姫祭、二星祭などの文字が記されている。大きなものは四〜五間。担ぎネプタ。ろうそく照明。
寛政5年(1793)「奥民図彙」に縦長の燈籠の絵。
1840年頃弘前市の史書:高さ9m以上のネプタが一般的であり、天保12年(1831)に黒石藩で高さ14〜16mのネプタが運行されたと記述。
文久(1861-4)「津軽年中風俗画巻(平尾魯仙画)」:「見送り」「高欄」らしきものが描かれ「組ネプタ」の萌芽が見られる。
天保2年(1831)〜明治4年(1871) 「分銅組若者日記」:「七夕祭」の名称でネプタ行事、ネプタ燈籠の絵柄100点を記録。担ぎネプタ。最大9間(16m)。
明治2年(1874)「伊藤善五郎家文書」:青森市浜町町会では高さ約20メートルのネプタの百人担ぎが行われたと記録。
明治〜大正:「開き」が考案され、「高欄」と「額」を改良した「組ネプタ」が完成。「額」の上に「開き」をつけ扇と結合した「扇ネプタ」が登場。
昭和〜平成:バッテリーや発電機を使用して、照明はろうそくから電気に移行。回転装置や昇降装置が登場。
昭和55年(1980):弘前ネプタ青森ねぶた重要無形民俗文化財の指定を受ける。
■意味深長
津軽藩の藩祖津軽為信公の幼名が「」であったことと「扇ネプタ」は関係ありやなしや!?
漢雲」は右から読んで「うんかん」となり、中国での「天の川」を意味する。ネプタ祭りが「七夕祭り」から発展した名残か!?
ネプタの下にある皿のような部分を「開き」と呼ぶ。津軽藩主津軽家の家紋が「牡丹」であることと、「開き」に描かれる「牡丹」の花は関連がありやなしや!?
■こぼれ話し
明治4年、弘前で五所川原ネプタと弘前ネプタが大喧嘩をしたそうな。
明治16年(1888)、ネプタの高さ一丈八尺(約5.4メートル)以上から罰金を課すとの通達があったそうな。
五所川原ネプタは、大正時代には高さ約20メートルもあり、隣町の金木町からも見えたそうな。
   <黒石よされ> 青森県黒石市 2006年 8月15日撮影
■黒石市の「よされ踊り」を見てきました。

■流し踊る道は昔のままの「こみせ」といわれる木造のアーケードがあり、踊り手がかぶる「トコマンポ」と呼ばれる編み笠や浴衣が映えていました。
■黒石よされのかけ声は「エッチャホー、エッチャホー」。
■「流し踊り」が基本形のようですが、たびたび流し踊りが中断され、その場で輪になって踊りはじめる「まわり踊り」は周囲の人も参加しての楽しい踊りでした。
■天明(1780年代)の家老境形右衛門が城下町に人を呼んで商工を活気づけようとしたことから盛んになったといわれるように、楽しみの少なかった時代の盆踊りらしい心あたたかなお祭り騒ぎでした。
■黒石よされは「日本三大流し踊り」の一つだそうです。他の二つは「阿波おどり」と「郡上踊り」。
こみせ通りが風情があります。
「夜目、遠目、笠の内」皆さん美しい! 流し踊りは整然と進みます。
まわり踊りでは若者達の掛け合いが。更けていく夜目に提灯が浮かび上がります。
狭い道いっぱいに踊りの輪ができます。小さい写真の上にマウスポインタを置くと写真が変わります。
 
”こみせ”にはカラフルな提灯が下げられていました。こみせの縁に腰掛けた観客も自然と体が動いています。
■こみせ 小見世
 黒石市中町のこみせ通りは「日本の道百選」に選ばれ、伝統的建造物とアーケードが藩政時代そのままの形で残っています。
 こみせと呼ばれるアーケードの特徴は、通りに面した家が自分たちの敷地内にアーケードを作ることにより、道路の幅を維持したまま、買い物客が雪や陽射しで難儀しないようにした人情溢れる造りになっていることです。
 こみせは人がちょうどすれ違える程度の幅でこぢんまりとしています。
 沿道には国指定重要文化財の「高橋家住宅」や造り酒屋などが並んでいます。「玉垂」を造る酒造店「中村亀吉」さんは日本一大きな酒林(杉玉)が掛けられています。もう一軒の酒屋さんは「菊乃井」を造る鳴海醸造店。どちらも酒造りを見学させてもらえる上、試飲もさせてくれます。
   <猿賀神社> 青森県津軽地方 2006年 8月27日撮影
「猿賀神社の蓮が満開でしたよ」と聞いたので、漫然と車で出かけていきました。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
猿賀神社 : 平川市猿賀石林 (旧尾上町)

水天宮に蛇の彫り物がありました。
竜神なのかもしれませんが、リアルな形と大きさなのでギョッとしました。
蝦夷征伐のため北上した坂上田村麿が「神蛇宮」として建立したと伝えられる神社なので、竜ではなく蛇なのかもしれません。

鏡ヶ池には、北限の「和蓮」とされる蓮の花が咲いていました。
盛りは過ぎているようでしたが、蓮の密度は相当なものです。
<りんご園> 青森県弘前市 2006年 9月16日撮影
いよいよ稔りの秋。早生のりんご「つがる」や「早生ふじ」が収穫の最盛期になってきました。
台風13号の動きを気にしながらりんご農家は大忙しです。
快晴ではありませんが、農作業には良いかもしれません。
つがるでもツヤに違いがあります。
ピカピカで縞模様が可愛いつがるです。。
穏やかなピンク色の「早生ふじ」です。。
カゴが重たそうです。収穫を終えた木にりんごが一つ。
真っ白いりんごの実を見つけました。
袋を剥がしているところでした。。
大きな実です。「世界一」という品種だそうです。
<りんご市場> 青森県弘前市 2006年 9月16日撮影
弘前市の国道7号線沿いには広大な敷地を持つ総合地方卸売市場「弘果弘前中央青果株式会社」があります。
早生りんごが収穫の最盛期ということで、16日は「サンつがる」を中心に34,900箱の入荷があったそうです。
10月のりんご収穫最盛期には200,000箱以上入荷するそうです。今日の6倍以上のりんご箱で溢れるということです。
懐かしいりんごの木箱で一杯でした。
市場の見学は事前に電話して確認しておいたのですが、今回は担当の方が広い構内を案内してくださいました。多謝。
  参考ページ → 弘果弘前中央青果株式会社会社案内施設見学
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
第2卸売市場(6311平方メートル)の競りは半分終わった頃でした。
「つがる」と「サンつがる」。
屋内市場に入りきらないりんご箱が駐車場に並べられています。
競りは2つのグループで行われていました。30分で全て競り落とされました。
「黄王」と「サンつがる」。
第3卸売場(4783平方メートル)はりんご箱で満杯。
次から次へと競り落とされていきます。
競り落とされたりんごはどんどん運び出されていきます。
りんご豆知識
青森県のりんごは、1875年に最初の苗木3本が植えられてから、様々な苦難を乗り越えてきました。
苦難その一、植物としての「病気」と「害虫」の発生。
モニリア病、りんご赤星病、斑点性落葉病、黒星病、りんご腐らん病、斑点落葉病、高接病とたくさんの病気の発生、ゾウムシ、綿虫、シンクイ虫、尺取虫の大発生。
苦難その二過酷な気象
大雪による幹の裂開、霜害、ひょう害、水害などで樹体を痛めつけられ、台風や強風によって収穫間近の落果
記憶に新しいところでは、1991年9月28日の台風19号は青森市で観測史上最高の最大瞬間風速53.9m/sを記録し、大量の落果があり、全国からりんご農家支援の手が差しのべられました。
苦難その三嗜好果物との競合
ミカンイチゴの増産、バナナの輸入増、リンゴ果汁輸入自由化、オレンジ輸入自由化、りんご輸入相手国の拡大など、競争相手の勃興。
対策その一、手間を惜しまない。
手間をかけることによって消費者の選好に合った商品を生産。開花から収穫までの間に、りんご農家は樹上の実に数回触れることになる。
実すぐり(摘果):大きく、良い形になる中心果を残し、側果をつみ取る。実と実がぶつかって擦れないよう適度な間隔を空ける。
袋かけ、袋はぎ:病害虫から実を守る。着色を良くする。袋をかけて育ったりんごは貯蔵性が良い。陸奥という品種は、袋をかけずに育てると黄緑の実(”青い”と見る人もいる)となり、袋をかけて収穫直前に袋を除いて日光浴をさせると鮮やかな朱色の実となる。
葉とり:実の回りの葉を摘み、実に太陽が良く当たるようにして着色を促進する。ただし、植物にとっては葉が多いほうが光合成も十分できるので、甘い実を作ることができる。最近では、「葉とらずりんご」と称して見た目は悪くとも糖度・栄養分が多いりんごとして売り出している。
玉まわし:実の各面を太陽に向けてまんべんなく着色させる。
対策その二、豊富な品揃え
夏緑、祝(いわい)、黄王(きおう)、未希ライフ(みきらいふ)、つがる、彩香(さいか)、千秋(せんしゅう)、紅玉(こうぎょく)、スターキング・デリシャス、世界一、ジョナゴールド、北斗、陸奥(むつ)、シナノゴールド、王林(おうりん)、ふじ、金星(きんせい)などたくさんの品種が栽培されています。私の子供の頃には国光(こっこう)という名のりんごがあったと記憶しています。品種開発は、@消費者の嗜好の多様化、A病害虫への強健性、B流通販売過程での日持ちの良さ、などを狙いにしているようです。
りんごの授粉
りんごは同じ品種の花粉では実がならないので、他の品種が側に植わっている必要があります。
昔は耳かきの綿毛のような道具で花粉を付けて回る様子が報道されていましたが、昭和50年代からマメコバチという蜂を使って授粉させる方法が普及しています。
津軽地方では、りんごの花が咲く頃は学校が休みになったそうです。
昭和40年には天候不順で花が一斉に咲いたため、中学生や高校生、自衛隊員を動員して授粉作業をしたそうです。
むかし人工授粉をやっていたという人に手順を聞きました。
まずりんごの花を採ってきます。1つの株に5つくらいの花が咲くので、真ん中の花以外の側花を集めます。小さな目の網に花を擦りつけて雄しべの葯(ヤク)だけを集め、りんご箱の中で電球を付けて暖めると、翌日には葯がはじけて花粉が出てきます。集まったりんごの花粉に石松子(せきしょうし:ヒカゲノカズラの胞子)という増量剤を加えて準備完了。石松子は赤く着色されているので授粉済みの花の目印ともなります。
木守りんご (きもりりんご)
果樹の枝の高いところに実を1つ残す風習。幸魂(さちだま)信仰の流れ。
「全部取ってしまうと、来年は実がならない」次の新生を促す種として残していると思われる。生命の再生を願い、豊作を祈る。自然の営みの中で収穫させてもらっていることへの畏敬の念。鳥や虫などと自然の恵みを分かち合う心の顕れとも。
「木守(きまもり)」「木(こ)もり」「木まぶり」とも言われる。柿や柚でも見られる。
『富士見ゆる村の寧しや木守柿   角川源義』
<巨樹・古木> 青森県津軽地方 2006年 9月23日撮影
弘前周辺の巨樹・古木を見る会があったので参加してきました。
樹木医の斎藤嘉次雄氏から興味深いお話をたくさん聞かせていただきました。
現地で現物を前にして専門家のお話を聞くと、一つひとつのお話が心にしみ込みます。
百沢(ひゃくざわ)街道の松並木(県天然記念物) : 弘前市新法師字向野
松には肥料が不要。
共生菌のアミダケと松は養分をやりとりしているが、落葉が多いと共生菌が少なくなり松にとって良くない。
よく松の根元に落ち葉を集めたり土を盛り上げたりしている人がいるが、松には迷惑。
マツタケはよく手入れされた松林に生えると言うとおり。
岩木山神社の五本杉(市天然記念物) : 弘前市百沢(岩木山神社) 樹齢300年以上、樹高35m、幹周618cm
一株から五本の幹が立っていると材としては無価値。
木材としての利用価値が少ないものが長く残るという例。
杉に白いチョークタケが付くと成長が止まる。
高倉神社の大イチョウ(町天然記念物) : 鰺ヶ沢町日照田 樹齢300年以上、樹高22m、幹周800cm
枝から円錐形に垂れ下がった突起は、地面に達するとそのまま根を生じ、幹と一体化する。
乳房のように見えるが、雄株に多く見られる。
栄養分が余ると突起を生じるので、雌株は毎年実を成らせ、栄養分が余ることがないので垂れることが少ない。
イチョウは病気や害虫が付きにくいため、巨樹古木になる。東日本ではイチョウ、西日本ではクスノキに病害虫が付きにくい。
関の甕杉(県天然記念物) : 深浦町関字栃沢 樹齢1000年、樹高35m、幹周703cm
木の実は鳥の消化管を経ると発芽しやすくなる。
この木の枝の上には鳥の糞から発芽した広葉樹が乗っている。
垂乳(たらちね)の公孫樹(国天然記念物) : 深浦町北金ヶ沢字塩見形 樹齢1000年、樹高40m、幹周1945cm
イチョウはほとんど病気が無く虫も付かないため、寿司屋のカウンターや俎板として使われる。
イチョウの雌雄は葉では分からない、実が成って初めて雌株と分かる。
銀杏の実で雌株は100個に1個ぐらいの割合で雌がある。三つに割れていることで判別できる。
尊殿堂の三本藤(市天然記念物) : つがる市森田上相野若鷺 樹齢425年、樹高10m、幹周200cm
殿様は馬のムチに藤を使っていた。湿地を馬駆けていて、力尽きて馬が死んだ場所にムチを突き立てた。そのムチから芽生えた藤だという言い伝えがある。
日本最古のリンゴの木(県天然記念物) : つがる市柏桑野木田字千年 樹齢128年、樹高7.4m、幹周300cm
古坂氏個人の樹園地にある。今年で128年目。
フランス原産と言われる「紅絞(べにしぼり)」という品種。毎年40箱収穫する。
一般にリンゴは4〜50年で接ぎ木などして品種を切り替えていくが、この木は接ぎ木をされていない希有な存在。
トドロッポ(県天然記念物) : 鶴田町妙堂崎字掛元 樹齢350年、樹高30m、幹周600cm
アイヌ語でトドマツを「トドロッポ」と言うが、この木はモミノキ。
モミノキは長生きする木ではない。
樹齢350年とされているので、これ以上の延命は困難。
シナノキ : 鶴田町野木(浄林寺)
シナノキとしてはたぶん日本一。
八甲田山の萱野高原に多く自生。
アイヌはこの木の繊維を利用してどてらのような服を作る。
熊の彫り物の材。



愛宕神社のハルニレ : 板柳町石野
ヤチダモと並ぶ湿地生の樹。
五所川原市の市木はハルニレ。五所川原一帯は湿地であったが、水田開発で湿地が無くなった。
ハルニレの学名はELMという。五所川原ではELM(エルム)の街と呼ぶ新都市作りが進められている。
サイカチの木 : 板柳町石野
四代信政公が植えた木。
古来薬草とされる。実は石けん代わりになる。
<りんごの収穫> 青森県弘前市 2006年 11月 11日撮影
りんごの収穫が終盤にさしかかっているというので、弘前のりんご園を見に行った。
りんご園でもぎ取られたばかりのりんごはたいへん美しい。
しかし、当日は曇り。もぎ取っていた農家の人は、「晴れていたらもっと綺麗だよ」と教えてくれた。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
りんごをカゴからりんご箱に、黙々と移し替えている人が見えた。
りんごの大きさキズをチェックしてりんご箱に仕分けしていく。
りんご園の奥の方では二人の女性がりんごをもいでいた。
カゴに盛られたりんごを青年がピストン輸送。
ウロのある古木が作業を見守っていた。
青森県写真集
<紅葉、弘前城> 青森県弘前市 2006年 11月 11日撮影
雨でしたが、傘をさして弘前城公園を散歩した。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
弘前城東内門。紅色に染まる空間があった。

 
赤から黄色に変わる空間があった。

 

桜の葉は本当にいい色をしている。

 

 
散らずに頑張る紅葉が天守に彩りを添えていた。

 

 
天守の小窓越し。

 
石垣。

 
くどいほどの紅さ。

 
京風。

 
桜のトンネル。

 
桜の樹体。

 
イチョウの巨樹。

 
モミジと カエデ
モミジ:古代語で、ベニバナ(紅花)をもんで色を出すことを”揉出(もみづ)”と言っていたことから、秋に草木が黄色や赤色に変わる様子を”もみづ”と表現するようになり、秋に目立って色を変えるカエデの仲間を”モミジ”と呼ぶようになったものだという。
カエデ:葉が手の平のように切れ込んだ形状の樹木を、カエル(蛙or蝦)の手に似ていることから”カエルデ”と呼んでいたものが変化して”カエデ”となったという。
園芸:植木業界では、イロハモミジ、オオモミジ、ヤマモミジを”モミジ”と呼び、他のものは”カエデ”と呼ぶようだ。
学術的:一般にカエデやモミジと呼ばれるものはカエデ科に属している。カエデ科イロハカエデ節の中に、オオモミジ、ヤマモミジ、イロハカエデなどが属しており、タカオモミジはイロハカエデの俗称または地方名。
見た目:モミジの名のつく種類には葉の鋭く深裂したものが多い(イロハモミジ、ヤマモミジなど)。カエデの名がつく種類には、分裂の浅いものや、楕円形のものが多い(イタヤカエデ、ウリカエデ、ヒトツバカエデなど)。
:紅葉、黄葉の表記でモミジと読ませる。ワープロでカエデを漢字変換すると”楓”となるが、マンサク科に楓(フウ)という樹がある。カエデの正しい漢名は”槭樹”だそうだ。
<ストーブ列車コンサート> 青森県五所川原市 津軽鉄道 2006年 11月 11日撮影
「がんばれ津軽鉄道コンサート 山木康世 雪酔列車ライブ」に行って来ました。
チラシの文章を転載しておきます。
『埼玉県在住の中村光一さんが、ストーブ列車をイメージした「雪酔」(ゆきよい)という詞を作りました。山木康世(元ふきのとう)さんが曲を付け、石川鷹彦(「22才の別れ」など多数編曲)さんがアレンジし、山木さんの歌ごえに小林啓子(フォークの女神)さんのコーラスを乗せ、この度CDとして販売されました。津軽鉄道サポーターズクラブ主催により、CD「雪酔」の完成と津軽鉄道全線開業76周年の記念として、山木康世さんのコンサートがストーブ列車の中で開催されます。』
津軽五所川原駅を17時46分に出発、津軽中里駅に18時30分に到着。再び、18時58分に出発して、19時43分に帰着するというダイヤ。
オリジナル清酒「雪酔」ワンカップ一つ+津軽鉄道全線往復+山木康世さんの2時間のコンサートが、しめて3500円でした。
★写真はかなりトリミングしています★写真をクリックしても写真は大きくなりません★
津軽五所川原駅はJRに併設。午後5時過ぎは真っ暗です。
左はコンサートの待合室に使われていたストーブ列車。右、いよいよ登場した山木康世さん。
熱唱する山木康世さん。
石炭ダルマストーブの上にはスルメ。スルメにはお酒。
若い車掌さんがダルマストーブの火加減を調整する。
すぐ横で熱唱する山木康世さん。目線の先は、網棚にぶら下げられた歌詞カード。
津軽中里駅では「ビッグウーマン」と呼ばれる農家のおばさん達が色んな物を売ってました。
奥の座席から身を乗り出して見ています。
♪〜今年なにやらいいことあるか ああ ゆらゆら 雪酔〜♪
「雪酔」2杯飲んでしまいました。列車を降りて五所川原の飲み屋で腹ごしらえ。さらにお酒が進みました。
<オジロワシ> 青森県中泊町若宮 2006年 11月 25日撮影
白鳥の姿を求めて十三湖の周辺を漫然と流していたら、オジロワシのつがいに会った。
ちょっと田んぼに降りたが、すぐに南に飛び去っていった。
雪に埋もれる前の葦原が陽を浴びて美しかった。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
オジロワシ。田んぼに降りたが、すぐに南に飛んでいった。
遠くに岩木山が見え、流れる綿雲で陽射しが動く。
岩木川河口付近には葦が美しく生え揃っている。
葦はアシともヨシとも読む。
<オジロワシ> 青森県中泊町若宮 2006年 11月 25日撮影
白鳥の姿を求めて十三湖の周辺を漫然と流していたら、オジロワシのつがいに会った。
ちょっと田んぼに降りたが、すぐに南に飛び去っていった。
雪に埋もれる前の葦原が陽を浴びて美しかった。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
オジロワシ。田んぼに降りたが、すぐに南に飛んでいった。
<木守りりんご> 青森県津軽地方 2006年 12月 9日撮影
雪が降り始めたりんご園では「木守りりんご」が寒風に冴えた色を添えていました。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
木守りりんご。
木守りんご (きもりりんご)
果樹の枝の高いところに実を1つ残す風習。
幸魂
(さちだま)信仰の流れ。
「全部取ってしまうと、来年は実がならない」次の新生を促す種として残していると思われる。
生命の再生を願い、豊作を祈る。自然の営みの中で収穫させてもらっていることへの畏敬の念。
鳥や虫などと自然の恵みを分かち合う心の顕れとも。
「木守(きまもり)」「木(こ)もり」「木まぶり」とも言われる。
柿や柚でも見られる。
『富士見ゆる村の寧しや木守柿   角川源義』
<ライトアップ> 青森県弘前市 2006年 12月 10日撮影
弘前では、「津軽ひろさき冬の旅」のイベントの一つとして、伝統建築物や洋館をライトアップしています。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
旧市立図書館。弘前市役所前のイルミネーション。
日本キリスト教団 弘前教会。
最勝院五重塔。
日本聖公会 弘前昇天教会。突然雪が降り始めました。
JR。
<雪と木守りんご> 青森県鶴田町 2006年 12月 29日撮影
ようやく、雪の綿帽子をかぶった木守リンゴを撮ることができました。
今年の青森は雪が降ってもすぐに溶けていくので、サンデーカメラマンにはチャンスが巡ってきませんでした。
今日も朝方は雪をかぶっていましたが、午後からは溶けてしまいました。
片面に綿帽子が。
しっかりした美味しそうなリンゴ。
雫滴り美味しそうなリンゴだと言ったら叱られるのでしょうね。
この園では、意外とたくさんのリンゴを残していました。
<雪の津軽平野> 青森県藤崎町 2007年 1月 13日撮影
束の間の晴れ間に雪の津軽平野が輝いた。
南のほう(左)から雪雲が迫ってきていました。
岩木山には雲がかかり頂が見えることはなかった。
<弘前点描> 青森県弘前市 2007年 1月 13日撮影
弘前城四の丸の北門に通じる界隈が亀甲町で、掘りに面した通りに古い建物が並んでいる。
ようやく冬らしくなってきた弘前城を歩いた。
石場家住宅の「こみせ」の中からお城の堀を眺めた。
表通りから見ると伝統家屋の「こみせ」が目をひく家屋は実は公衆トイレである。津軽藩ねぷた村横の亀甲町広場にある。
右は川崎染工場の母屋の内から庭を眺めたところ。頑丈そうな雪囲いで室内は薄暗い。
東の掘に折れる辺りに藍染めの「川崎染工場」がある。
明治後半に化学染料が発明されるまで行われていた方法で最近復活させたそうです。
凍ることをためらうかのようなお堀。
天守は天守です。
植木の雪対策の見本市。
県内至る所でしっかりした雪囲いを施された生け垣が見られる。ここまでするかと思うほどしっかり誂えられている。
雪がちらつく午後は人影がありません。
<干し餅と注連縄> 青森県五所川原市俵元 2007年 1月28日撮影
地吹雪で有名な五所川原では大寒の前後に寒干しして干し餅を作ります。
昔はあちらこちらの農家の軒先に干し餅がつるされた光景が見られたそうですが、今は業務用にまとまって吊されています。
俵元集落に入っていくと素晴らしい注連縄に出会いました。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
美しい注連飾りを見つけました。
レースのカーテンのような注連縄にお茶目?な細工がありました。
干し餅。田んぼの真ん中の干し場。
お餅はワラで包んで干してありました。
ムシロをかけた干し場と企業的な干し場。
<泥まみれの白鳥> 青森県青森市浪岡 2007年 3月 25日撮影
北に帰る前の腹ごしらえに余念のない白鳥たちを見つけました。
浪岡の水が抜けきらない田んぼで白鳥の群れがいました。
静かな田んぼに「グジョグジョグジョグジョ・・・・」というクチバシで濾し取るような音だけが聞こえていました。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
水の中ではなく、泥の中に頭を突っ込んでいます。
泥まみれもなんのその。
<こみせとクラシックカー> 青森県黒石市 2007年 7月 15日撮影
台風4号の強風のため八甲田ロープウェーが運休だったので、山を下り黒石のこみせ通りに寄ってみた。
こみせ通りを通行止めにして『第16回クラシックカークラブ青森 ミーティング in こみせ』が開催されていた。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
猫バスのような・・・。
はたらく車が動態保存されている。
こみせ通りはなんでも似合う?
こんな車ももうクラシックカー?
気品があります。
エレキギターの音が聞こえるイベント会場。
<黒石ねぷた> 青森県黒石市 2007年 8月 1日撮影
黒石市のねぷたは風情があって良いと聞いたので出かけてみた。
運行はほとんど終わりだったためか、しっとりしたお盆の行事といった雰囲気が漂っていた。
黒石ねぷたは7月30日から8月5日開催。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
合同運行を終えたねぷたが帰って行く。
国道沿いの各家の玄関先には思い思いの灯ろうがしつらえられている。
誰もいなくなったこみせ通りを一台のねぷたがやって来た。
角灯ろうの向こうをねぷたが行く。
ねぷたが通った後には角灯ろうだけが闇に浮かんでいた。
こみせ通りの雰囲気。
<弘前ねぷた祭り> 青森県弘前市 2007年 8月 4日撮影
弘前のねぷた祭りを見てきました。
土手町を運行するねぷたは意外と闊達な動きもある練り歩きでした。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
扇ねぷたが土手町を続々と来る。
扇ねぷたがやって来た。
津軽情っ張り大太鼓。
人形ねぷた。
担ぎねぷた。
扇ねぷたの送り絵。
女衆の粋な担ぎねぷた。
大型の扇ねぷた。
女衆が活躍する囃子組。
静かな風情のねぷた。
人形ねぷた。
人形ねぷたにも送り絵。
交差点でぐるぐる回されるねぷた。
大型ねぷた。
女衆が大活躍。
大型ねぷたは厳かさが際立つ。
送り絵は独特の雰囲気を持つ。
子どもたちも参加しています。
大型ねぷた。
運行を終えて帰って行くねぷた。
運行を終えて。
岩木山ミニ知識
■ねぶたの由来
身についた罪や穢(けが)れを川や海の水で洗い清める禊ぎ(みそぎ)を目的とした行事が起源
農作業が忙しく暑さの厳しい夏に襲ってくる睡魔を追い払う「眠り流し」に変化
江戸時代、七夕祭り松明流し精霊流し眠り流し盆燈篭などが変化した。
簡素な角燈籠→人形の「組みネプタ」→扇型のネプタ、へと形態変化
流し」から「運行」や「練り歩き」を楽しむ形に変化しつつある。
眠り流し→ねむた流し→ねむた→ねぷた、ねぶた
「佞武多」、「禰ふた」の字をあてることもある。
■変遷
文禄2年(1593)藩祖為信公が京都の盂蘭盆会での趣向として二間 四方の大燈篭を作らせたとの伝承。
享保7年(1722)「御国日記津軽藩日記)」:五代藩主津軽信寿公が「称むた流」を高覧したとある。
安永7年(1778)「奥民図彙(おうみんずい)」:「子ムタ祭の図」で七夕祭りと説明。
天明6年(1786)「山田家記」:「七夕祭り、例年の通り賑々しく」とある
天明8年(1788)「子ムタ祭之図」:七夕祭、織姫祭、二星祭などの文字が記されている。大きなものは四〜五間。担ぎネプタ。ろうそく照明。
寛政5年(1793)「奥民図彙」に縦長の燈籠の絵。
1840年頃弘前市の史書:高さ9m以上のネプタが一般的であり、天保12年(1831)に黒石藩で高さ14〜16mのネプタが運行されたと記述。
文久(1861-4)「津軽年中風俗画巻(平尾魯仙画)」:「見送り」「高欄」らしきものが描かれ「組ネプタ」の萌芽が見られる。
天保2年(1831)〜明治4年(1871) 「分銅組若者日記」:「七夕祭」の名称でネプタ行事、ネプタ燈籠の絵柄100点を記録。担ぎネプタ。最大9間(16m)。
明治2年(1869)「伊藤善五郎家文書」:青森市浜町町会では高さ約20メートルのネプタ「宝船」の百人担ぎが行われたと記録。
明治6年(1873)菱田重喜県令:ねぶた禁止令を発令。以後9年間禁止。
明治〜大正:「開き」が考案され、「高欄」と「額」を改良した「組ネプタ」が完成。「額」の上に「開き」をつけ扇と結合した「扇ネプタ」が登場。
昭和〜平成:バッテリーや発電機を使用して、照明はろうそくから電気に移行。回転装置や昇降装置が登場。
昭和45年(1970):大阪万国博覧会にねぶた出展。
昭和55年(1980):弘前ネプタ青森ねぶた重要無形民俗文化財の指定を受ける。
■意味深長
津軽藩の藩祖津軽為信公の幼名が「」であったことと「扇ネプタ」は関係ありやなしや!?
漢雲」は右から読んで「うんかん」となり、中国での「天の川」を意味する。ネプタ祭りが「七夕祭り」から発展した名残か!?
ネプタの下にある皿のような部分を「開き」と呼ぶ。津軽藩主津軽家の家紋が「牡丹」であることと、「開き」に描かれる「牡丹」の花は関連がありやなしや!?
■こぼれ話し
明治4年、弘前で五所川原ネプタと弘前ネプタが大喧嘩をしたそうな。
明治16年(1888)、ネプタの高さ一丈八尺(約5.4メートル)以上から罰金を課すとの通達があったそうな。
五所川原ネプタは、大正時代には高さ約20メートルもあり、隣町の金木町からも見えたそうな。
■ホントの話??
坂上田村麻呂が蝦夷と戦った時、出陣で弘前の扇ネプタが使い、凱旋で青森の人形ねぶたを使ったと言う人あり。
そのためか、弘前ネプタは粛々と厳かな雰囲気で、青森ねぶたは勝利に酔って大はしゃぎするような「跳人」を引き連れている。
<馬市まつり> 青森県つがる市木造町 2007年 8月 26日撮影
農耕馬の取引が盛んだった津軽地方でも昭和の農業機械化の中で馬市が衰退した。
昭和50年から馬市にちなんだ「馬市まつり」が開催されるようになった。
馬市まつりの最終日、「馬ねぶた」に火が放たれる「新田火まつり」を見てきた。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
火がつけられ、馬ねぶたのシルエットが浮かび上がった。
燃え落ちていく馬ねぶた。
<りんご> 青森県青森市浪岡町 2007年 9月 22日撮影
青森市のりんご産地浪岡町をドライブしていると、目が覚めるような明るいりんご園に出くわした。
袋を取り去って反射材で下から照らされている「千秋」という品種だった。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
袋を剥いで数日経った「千秋」は、まだ白く明るい。
10月初旬の収穫までどんどん色づいていく。
<田んぼアート> 青森県田舎館村 2007年 9月 22日撮影
今年の田舎館村の田んぼアートは「黄稲」「紫稲」「つがるロマン」「紅都」の4種類の稲を使って描かれた。
測量描画技術と栽培技術は共に完成域に達している。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
田んぼ全面を使って描かれた葛飾北斎作「富嶽三十六景」の「神奈川沖浪裏」と「凱風快晴(赤富士)」。
道路の電柱が無くなっている!? → 昨年の写真
さりげない微妙な部分も描き込まれている。
<三浦酒造イベント> 青森県弘前市 2007年 9月 29日撮影
豊盃倶楽部が主催する「日本酒の日記念 ミッドナイト乱」というイベントが弘前市の三浦酒造で開催されました。
酒造の床に座り込み、特設ステージで展開される「腕相撲」「ライブ&セッション」「秘蔵酒オークション」などイベントを楽しみながら、0時1分まで各種「豊盃」を飲み続けるというイベントでした。
「豊盃」の題字を書かれた鰺ヶ沢の女性書道家とライブギターのコラボが圧巻でした。
ミッドナイト乱で飲める酒
テーブルには飲み放題として、「純米吟醸 豊盃倶楽部(ひやおろし)(豊盃米50%)」、「豊盃 大吟醸(山田錦40%)」、「豊盃 純米大吟醸 大寒仕込み(山田錦40%)」の「豊盃」3種類が置かれていた。
秘蔵酒チケットが2枚配られ4種類の秘蔵酒のからチケット1枚で秘蔵酒1杯と交換できる。
今回用意された秘蔵酒は、「大吟醸 つるし酒 鑑評会出品酒(山田錦40%)」、「純米大吟醸 山田穂(山田穂50%)」、「純米吟醸 亀の尾(生酒)(亀の尾55%)」、「ん おりがらみ(生酒)(青森米65%)」の4種であった。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
ミッドナイト乱の会場、三浦酒造。
天井の高い酒蔵。
鰺ヶ沢の女性書道家。
今宵佳酔・・・・。
書くほどに観客の目が注視する。
<色づくりんご> 青森県青森市浪岡 2007年 9月 29、30日撮影
浪岡のりんご園を走ると、反射材で下から照らされ色づくりんごがたわわに実る樹に会える。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
岩木山を背景に朝日を浴びるりんご。
フレックス板で輝く女優のようなりんご。
太いリンゴの樹。
北八甲田連峰とりんご。
曇り空にも反射材で明るいりんご。
<おらほの田舎スイーツ> 青森県 2007年 11月 11日撮影
「おらほの田舎スイーツコンテスト」を見てきた。
まちづくりリーダーの卵たち「パワフルAOMORI!創造セミナー」受講生たちが企画実施した。
『青森発、家庭のお菓子・おやつ(田舎スイーツ)を募集します。昔、おばあちゃんやお母さんに作ってもらったお菓子や今も食べているちょっと懐かしくて心が温かくなる「思い出のおやつ」を教えて下さい。』と募集した。
コンテストは楠美家住宅で開催された。楠美家住宅は明治19(1886)年5月に棟上、平成18年に狼野長根公園に移築された。津軽地方を代表する大型民家ということで、五所川原市は平成12年11月文化財に指定。
可愛いりんごのスイーツ。
やはり女性に人気のスイーツたち。
虫送りの立派な虫がいました。
民家の天上を見上げる。雨や雪の道具。
<つるどまり駅> 青森県鶴田町JR五能線 2007年 12月 22日撮影
JR五能線つるどまり駅。鶴田町には2つのJR駅がある。
通りがかりに岩木山と駅舎を撮ろうと車を降りてカメラを構えていると、踏切の警報が鳴り始めた。
タイミングよく深浦行き普通列車が入ってきた。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
待合室から乗客が現れた。
キハ40系と岩木山。
むつつるだ駅に向かう列車。
線路は続くよどこまでも・・・。
<防雪柵> 青森県中泊町、つがる市 2008年 1月 13日撮影
雪が断続的に降る津軽を走った。
西風が卓越する津軽平野では吹き払い式防雪柵が設置されている。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
前方が霞む吹雪。吹き払い式防雪柵によって雪が路面を這う。
<細野・相沢冬物語> 青森県青森市浪岡細野 2008年 2月 2日撮影
細野・相沢という地区のことをまったく知らなかったが、冬の花火が打ち上げられるというので出かけてきた。
「おばあちゃんの手作り田舎料理!」と銘打ったウドの酢味噌和え、けの汁、モツ煮込み、ふきの炒め物、豆こごり、おしるこなどをいただいた。
これらのほか、おにぎり、漬け物、ビール、ジュースは食べ・飲み放題。
テントの中ではホンモノの”ばっちゃ”が大活躍している山奥の不思議な不思議なイベントだった。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
浪岡から山の中へ8kmほど行ったところに細野集落がある。
細野・相沢冬物語の会場。
「おばあちゃんの手作り田舎料理」の主役たちは立ち上る湯気の中で黙々と立ち働いていた。
催しが終わって花火を待つ会場。
冬の花火が打ち上がった。
<雪灯籠作り> 青森県弘前市弘前城公園 2008年 2月 3日撮影
第32回弘前城雪灯籠まつりの準備が進んでいた。
150基の雪灯籠と300基のミニかまくらが作られる。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
家族一緒に作業する横で、陸上自衛隊弘前駐屯地協力隊が雪像を作っていた。
雪灯籠。
弘前城天守と彫刻を待つ雪塊。
<津軽鉄道> 青森県五所川原市 2008年 2月 9日撮影
津軽鉄道はストーブ列車で有名ですが、地吹雪地帯を走り抜ける鉄路を守る「鉄道林」もあります。
普段は何気なく見ている線路横の樹林帯は、吹雪から鉄路を守ることを目的としているものもあるそうだ。
津軽鉄道では毘沙門駅とその前後に残っているという。
「高校生おもてなし隊」がストーブ列車でしとぎ餅を振る舞うというので、出かけていきました。 →振る舞いの様子
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
ストーブ列車は機関車DD350が牽引する。
ついつい見とれてしまう。
ストーブ列車の特徴である煙突が突き出ている。オハ46形、オハフ33形。
オハ46形、オハフ33形の内部の様子。昭和29年に作られた車両は儚く消えそうなのでシャッターを切ってしまう。
毘沙門駅を通過するストーブ列車。
毘沙門駅を通過する。走れメロス号の先頭部から撮影。鉄道林が鉄路を守っている。
裸の鉄路。
津軽21形気動車「走れメロス号」とキ100形雪かき車。
<ストーブ列車としとぎ餅> 青森県五所川原市 2008年 2月 9日撮影
「しとぎもち振る舞い in 津軽鉄道」と銘打って、おらほの田舎スイーツひろめるべし!! と地元高校生たちが楽しんでました。
しとぎ餅は、津軽発祥の”田舎スイーツ” −もち米粉をこねて作った皮にあんをたっぷり入れて焼く、素朴な餅。
高校生おもてなし隊がパワフルAOMORI!プロジェクトのおばさん・おじさんたちと手を組んでストーブ列車に乗り込みました。

こんなに地元の人たちに愛されているなんて、なんというしあわせ者なんでしょう!! 「津軽鉄道」くん!!  →同じ日の津軽鉄道
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
高校生おもてなし隊。
津軽鉄道株式会社の本社と五所川原駅舎。
津軽鉄道本社ビル2階でしとぎ餅は作られた。
次が焼き上がるまでに、出来具合をチェック。
「ストーブ弁当」。竹で編んだ弁当箱は持ち帰って、文箱などとして使ってください。1000円、要予約。
お昼はみんなで「ストーブ弁当」を味わいました。
作っている時も食べている時も、楽しそう。
おもてなしのリハーサルもしました。
いざ、おもてなし!
お客様を迎える準備ができました。
ストーブ列車の中で、おもてなしの本番。
おもてなし。
ストーブの暖かさもおもてなし。
喜んでお帰りになるお客さんを見送る。
ストーブ列車を待つ。
<津軽鉄道> 青森県五所川原市 2008年 2月 9日撮影
津軽鉄道はストーブ列車で有名ですが、地吹雪地帯を走り抜ける鉄路を守る「鉄道林」もあります。
普段は何気なく見ている線路横の樹林帯は、吹雪から鉄路を守ることを目的としているものもあるそうだ。
津軽鉄道では毘沙門駅とその前後に残っているという。
「高校生おもてなし隊」がストーブ列車でしとぎ餅を振る舞うというので、出かけていきました。 →振る舞いの様子
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
ストーブ列車は機関車DD350が牽引する。
ついつい見とれてしまう。
ストーブ列車の特徴である煙突が突き出ている。オハ46形、オハフ33形。
オハ46形、オハフ33形の内部の様子。昭和29年に作られた車両は儚く消えそうなのでシャッターを切ってしまう。
毘沙門駅を通過するストーブ列車。
毘沙門駅を通過する。走れメロス号の先頭部から撮影。鉄道林が鉄路を守っている。
裸の鉄路。
津軽21形気動車「走れメロス号」とキ100形雪かき車。
<白鳥飛来地> 青森県藤崎町 平川 2008年 2月 16日撮影
国道7号線の「白鳥飛来地」という道標に従ってハンドルを切ると藤崎町の平川に行き着く。
晴れれば岩木山を背景に白鳥たちが群れ遊ぶ姿を見ることが出来るようだが、あいにくの空模様。
白鳥もたくさんいたが、オナガガモがさらにたくさんいた。

平川は青森・秋田県境の水を集め、津軽平野の真ん中で岩木川に合流する。
藤崎町は、奥州街道の脇往還として発達した羽州街道の宿場の一つだった。
羽州街道は矢立峠で青森県に入り、碇ヶ関、大鰐、弘前、藤崎、浪岡、新城と北上し、油川で松前街道に連なる。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
駐車スペースに車を着けると、オナガガモが一斉に歩いて寄ってくる。
水辺に人影を見ると白鳥たちも寄ってくる。
大きなパンのミミに群がるも、優雅!?
カモをブロックしながら白鳥がついばむ。
<積雪期のりんご樹> 青森県弘前市 2008年 2月 17日撮影
積雪期のアップルロード沿線では、りんごの独特の樹形がよく見える。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
りんごの樹は改良に改良を加えられ、独特の樹形に仕込まれている。
横に張らせた枝の上に雪が重く積もっている。
積雪期の色。
つかの間の青空が見えた。
緩やかな丘陵地に作業小屋が建つ。
<冬の電飾> 青森県弘前市 2008年 2月 23日撮影
弘前市役所前の電飾。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
寒空にも暖かい電飾。
雪に埋まる電話ボックス。
<猿賀神社、胸肩神社> 青森県平川市猿賀 2008年 2月 24日撮影
雪の猿賀神社に行ってみた。
猿賀神社の隣にある池は蓮池として有名で、池の中の島に社がある。
橋のたもとの鳥居に「胸肩神社」とあった。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
合格祈願の的にはたくさんの書き込みがあった。
胸肩神社へは朱の橋で渡る。
ハスを守るため社から放射状に縄が張り渡されていた。
<雪の棚田> 青森県青森市浪岡 2008年 2月 24日撮影
山際の棚田は雪で覆われて優美に波打っていた。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
梵珠山への道。
棚田は海のうねりのようだ。
冬芽と葉痕。
 ■青森県写真集■
<桜> 青森県弘前市 弘前公園 2008年 4月 23日撮影
弘前公園のちょうど満開のソメイヨシノを見てきた。
枝垂れ桜はこれから満開になるところだったが、美しいピンク色が際立っていた。
満開になったばかりで早朝の濠の水面は鏡のようだ。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
鷹丘橋。下乗橋。
濠と桜。
本丸の枝垂れ桜。
桜点描。杉の大橋と南内門。。
下乗橋から天守を見る。
天守と下乗橋。
大銀杏、未申櫓と桜。
西濠。ボート乗り場。
西濠。
亀甲門。レクレーション広場の桜。
<里の春> 青森県青森市浪岡 2008年 4月 26日撮影
青森市浪岡で早朝の草花を撮った。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
早春の里で見られる黄色い花は、タンポポか菜の花かスイセンだ。
朝日の斜光でツクシが爽やか。
もうすぐリンゴの花が咲き乱れる。
<枝垂れ桜> 青森県弘前市 弘前公園 2008年 4月 26撮影
弘前城では枝垂れ桜が美しい。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
追手門と天守。
鷹丘橋から本丸へ。
本丸に枝垂れ桜が多い。
枝垂れ桜。
<ソメイヨシノ> 青森県弘前市 弘前公園 2008年 4月 26撮影
ソメイヨシノは散り始め、足元を桜色に染め上げていた。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
濠を埋める花びら。
二階堰とソメイヨシノ。
西濠と桜のトンネル。
下乗橋とソメイヨシノ。
追手門。天守。
杉の大橋。与力番所。
散り敷く花びらとタンポポ。
カエデの新緑も始まっていた。
弘前公園のさくらまつりには出店がいっぱい。
<幻の観桜会> 青森県五所川原市金木町 芦野公園 2008年 5月 3日撮影
昭和30年代に行われていた「津軽の定番花見」をしようという酔狂な催しがあった。
津軽鉄道サポーターズクラブが「樟脳かまりのする一張羅」の服装で花見をしようと呼びかけ、60名余りが集まったそうだ。
津軽では、「観桜会」と書いて「かんごかい」と言うそうだ。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
相馬のんきさんが発案したという「幻の観桜会」。昭和時代の防虫剤は臭いのする樟脳だったなあ・・・。
「わの酒 飲まえねってな」・・・・飲まなきゃいられない!
独特の色彩が目を惹く着物姿。
ねぷた囃子。
立ってるだけでレトロ。ストーブ列車が横を通った。
アコーデオンに合わせて歌う。
「ホンモノは出ないんだから怖くないよ〜」と客引きしてました。入り口で逡巡する子たち。
<走れメロス号> 青森県五所川原市 津軽鉄道 2008年 5月 3日撮影
太宰治のふるさと「金木」を走る津軽鉄道には「走れメロス号」が走っている。
津軽21型気動車は「走れメロス号」という愛称で呼ばれる。
2009年は太宰治が生まれて100年ということで津軽半島は「太宰」で盛り上がろうとしている。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
春、菜の花が咲く。
鉄道林の間に桜が顔を出す。
芦野公園駅で。
<春の里・五所川原> 青森県五所川原市 2008年 5月 3日撮影
暖かい日差し浴びて田園をドライブすると春を満喫できる。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
山間の農地でも農作業が始まっている。
ため池や農地の縁は「春もみじ」。
りんごの木の下は黄色い花に勢いがある。タンポポと菜の花。
りんごの花は開くと白い。
白と黄色の競演。
うっすらとピンクを帯びたりんごのつぼみ。
りんごの木の下のナズナとタンポポ。
カキドウシ。りんご園の下草。
<馬力大会> 青森県青森市浪岡大釈迦 2008年 8月 3日撮影
青森の馬力大会は「オヤジたちのレクレーション」といった感じがする。
北海道の「ばんえい競馬」は洗練された一級品だが、青森の馬力大会はオヤジたちの手作りのお楽しみだ。
馬場の中央に、持参した折りたたみ椅子を広げて、思い思いに競走を楽しんでいる。

ペルシュロン種、ブルトン種など馬体重1トンの重量級と小型のポニーも出走する。
そりに乗った者と馬の口を引く者の2人が走って行き、口とり者は馬と一緒にそりを曳いているに等しい精一杯の活躍が見られる。

「輓馬競技(ばんばきょうぎ)」「輓馬大会」とも呼ばれるそうだが、青森では「馬力大会」のようだ。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
気負いのない雰囲気がいい。
くつろいだ空気が流れる馬場。
ソリを着けられる馬。
気負いのない出走風景。
口取りが引っ張り上げる障害。
障害の向こうに見える馬の表情。
障害をまさに越えようとする。
ゴールへまっしぐら。
大きく力強い馬。
走り終えた馬。
ポニーと少年。トラックの荷台は宴会場。
<立佞武多・五所川原> 青森県五所川原 2008年 8月 8日撮影
立佞武多(たちねぷた)の最終日は3基の大型立佞武多が一つの交差点で会合する。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
立佞武多2基が入る格納庫が五所川原駅前にある。
駅前から立佞武多の館に向かう。
「不撓不屈」2008年製、「芽吹き心荒ぶる」2007年製、「絆」2006年製が立佞武多の館から出陣する。
路地から立佞武多を眺めた。
3基の大型立佞武多が会合した。
立佞武多の館に帰っていく大型立佞武多を見送る。
<泣き相撲大会> 青森県青森市浪岡 浪岡八幡宮 2008年 8月 15日撮影
「青森市・浪岡八幡宮夏場所」と銘打って第七回県下 泣き相撲大会 が行われた。
お相撲さんに抱いてもらった赤ちゃんはすこやかに育つ、という信心から始まった泣き相撲だという。
中入り後の取組みが18行われ、浪岡を中心に県内各地から参加した赤ちゃんに加えて北海道、秋田、大阪からの参加もあった。
赤ちゃんの年齢は、1歳以下を中心に5ヶ月から2歳5ヶ月までだった。
ふっくらとした赤ちゃんは、同じくふっくらとしたお相撲さんの体格と良くマッチして、赤ん坊の愛らしさをいや増していた。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
泣き相撲大会は浪岡八幡宮で神事として行われた。
鳥居に懸けられた武者絵が印象的。
赤いちゃんちゃんこは赤ちゃんの産着。
見合って見合って。
お相撲さんが着ている赤に黒衿のちゃんちゃんこは赤ちゃんの産着。
土俵中央からだんだん正面に。
親も兄弟も楽しそう。
カメラマンへのサービスは満点でした。新聞各紙とテレビカメラもたくさん来てました。
勝ち名乗り。
<迎え火・送り火> 青森県弘前市小沢 2008年 8月 16日撮影
お盆の風習に迎え火と送り火がある。
弘前の小沢地区では、お盆の期間は毎日、家々の門口で火を焚いている。
一般的なお盆の期間は8月13日から16日であるが、13日から20日までの毎夕刻に火を焚いているそうだ。
門口で実際に火を焚くことが難しくなってきているが、小沢地区では各戸の作法で続けられている。
弘前の市街地でも商店の軒先や歩道で火を焚く情景が散見され、思いがあれば場所や仕草にこだわらないものだと感じた。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
午後7時頃。故人を偲んで火を見守る。
静かな盂蘭盆の行い。
<りんごもぎ> 青森県五所川原市俵元 2008年 9月 7日撮影
五所川原市俵元の三上徳治りんご園でりんごもぎ体験がありました。
「つがる」という早生品種を収穫しました。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
矮化栽培のりんご園です。
りんごのもぎ方を教えてもらいます。
矮化栽培なので小さな子どもにも手が届きます。
脚立に乗って。
脚立で上の方のりんごももぎましょう。
二つめは小さいりんごを選んでかぶりついています。
たくさん収穫しました。
黄色い黄王もいただきました。
<稲田> 青森県青森市浪岡 2008年 9月 21日撮影
あと10日以内には刈り取られてしまう稲穂です。
りんごと稲穂のツーショットはなかなかうまく行きません。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
青森では急傾斜の棚田はありませんが、これでも1/20位の傾斜があります。
稲穂の横にりんごを見つけましたが、色づきはこれからでした。。
<林檎!りんご!リンゴ> 青森県青森市浪岡町 2008年 9月 21日撮影
浪岡町を走ると反射シートで色づくリンゴが可愛らしい。
屋外にあるものなのに汚れることなく、一つ一つが輝いて樹に成っている光景を見ると、不思議な気分になってくる。
秋の味覚リンゴの早生種「サンつがる」や「さんさ」が直売所に並び始めた。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
これからどんどん色づいていくピンクのリンゴ。
反射シートで照らされる。
少々小ぶりの浪岡名産「おぼこい林檎」かな。
敷きつめられた反射シート。
<刈り取りが済んだ朝靄の田・浪岡> 青森県青森市浪岡 2008年 10月 18日撮影
青荷に向かう途中で朝靄の風景に会った。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
刈り取りが済んで静かな田んぼ。
<ハクチョウ・藤崎町> 青森県藤崎町 平川 2008年 11月 15日撮影
藤崎町の平川は白鳥飛来地として有名だが、今年は鳥インフルエンザ警戒のため餌をやる人はほとんど無いようだ。
ハクチョウやカモたちが羽を休めていた。

☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
一羽のハクチョウが突然水面を走り出した。
着水寸前に滑空する。
餌やり自粛。
暮れゆく白鳥飛来地。
<紅葉・弘前公園> 青森県弘前市 2008年 11月 16日撮影
弘前は、晩秋もサクラだった。
弘前公園に踏み込んで紅葉したサクラの落ち葉にびっくりした。
もちろんモミジの紅葉も素晴らしいが、春の一時期に2百万人以上の花見客を集めるサクラの紅葉が素晴らしい。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
お堀を見る限り落葉してしまってダメかなと思った。
サクラの落ち葉が美しい。
サクラのトンネルも落ち葉の絨毯。
根上がりイチョウ。イチョウとサクラの落ち葉が競い合っている。
根上がりイチョウの黄葉。
モミジの紅葉は真っ赤だ。
色んな色の紅葉。
<鶴の舞橋> 青森県鶴田町 2008年 11月 23日撮影
鶴田町の廻り堰には日本一「ながいきの橋」(「長生き」と「長い木」)がある。
別名「鶴の舞橋」と呼ばれるヒバの木造橋に立ち寄った時、雲行きが怪しかった。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
19日からの降雪で訪れる人もない。
寂寥感を醸すヒバの肌理。
 ■青森県写真集■
<りんご樹> 青森県鶴田町 2008年 11月 23日撮影
青森では19日にドカ雪が降った。
雪が積もった津軽平野を走っていて、りんご樹が折れている光景に出くわした。
雪の中、りんごを収穫している姿もあった。

  
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
折れた断面が痛々しい。
雪の重みで枝を落としたのであろう。
重い雲の下でりんごを収穫する姿を見留めた。
雪の上、脚立を立てて収穫していた。
一瞬、陽が差した。
手際よくりんごがもがれて行く。
<JRきづくり駅舎シャコちゃん> 青森県つがる市木造町 2008年 11月 23日撮影
亀ヶ岡遺跡で発掘された遮光器土偶の愛称は「シャコちゃん」。
平成4年、ふるさと創生事業の一環で駅舎に貼り付けられた「シャコちゃん」は高さ17m。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
ライトアップされた駅舎のシャコちゃん。
ちょうどJR五能線の列車が到着した。
<津軽五所川原駅> 青森県五所川原市 2008年 11月 29日撮影
津軽鉄道の始発駅は津軽五所川原駅。
JR五能線の五所川原駅に隣接している。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
津軽五所川原駅。
駅待合室。
踏切。
ポイント。
ラッセル車。

ストーブ列車の客車とラッセル車。
JR五能線のリゾートしらかみ号。
<津軽鉄道> 青森県五所川原市 2008年 11月 30日撮影
津軽鉄道の駅は津軽五所川原駅と芦野公園駅が有人だ。
雨の中、十川駅、津軽飯詰駅、毘沙門駅、嘉瀬駅を覗いてみた。
金木では、太宰治縁の斜陽館と疎開の館に立ち寄った。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
津軽鉄道十川駅と踏切。ちょうど走れメロス号が通過した。
津軽鉄道十川駅。葦簀ととんがり屋根が印象的。
津軽飯詰駅。
毘沙門駅。
嘉瀬駅。
三味線館。
斜陽館。
斜陽館。
太宰の暮らした疎開の家、津島家新座敷。
<雪のりんご> 青森県 2008年 12月 13日撮影
雪が降るりんご園を通りかかったとき白い景色の中に色を見つけた。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
木守りりんご。
黄色いりんごも白い雪に似合っている。
綿帽子をつけたりんごたち。
これから収穫するのだろうか?
雪にけぶる民家。
<津軽金山焼> 青森県五所川原市 2008年 12月 20日撮影
津軽平野の東縁は中山山脈の麓に沿ってため池が連なっている。
津軽金山焼は、このため池の一つ金山大溜池の底の粘土を使っている。
500人の陶工が500年間使えるほどの陶土と津軽地方の赤松の薪を使った、完全自給自足の窯場だそうだ。
世界各地の陶芸家に交流の場を提供しており、2002年から毎年「青森世界薪窯大会」が開催されている。
色んな窯が運用されていて、世界各地の陶芸家の新しい窯に関するアイデアの実証も行われているそうだ。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
鄙びた風合いの焼き物。
登り窯。
窯の中。
1300度で焼く。
手ひねりの陶芸教室。
先生の話を聞いた後、粘土に集中する。
<積雪の津鉄> 青森県 2009年 1月 25日撮影
雪がたくさん降った朝、津軽鉄道。
風がない雪原を「走れメロス」号が静かに走っていた。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
津軽飯詰駅。金木方面から走れメロス号がやってきた。
津軽飯詰駅。レールは見えない。
津軽飯詰駅。五所川原に向けて出発。
毘沙門駅。ようやくレールが見えている。
毘沙門駅。
<弘南鉄道> 青森県津軽平野 2009年 2月 1日撮影
津軽平野の南東の奥まった地域に弘南鉄道株式会社が運営する弘南鉄道弘南線と弘南鉄道大鰐線が走っている。
弘南線は、弘前市、平川市、田舎館村、黒石市を結ぶ12駅、16.8kmの電化単線路。
大鰐線は、弘前市と大鰐町を結ぶ14駅、13.9kmの電化単線路。
津軽平野を走る鉄道では、津軽鉄道が賑やかに取り上げられることが多いが、弘南鉄道も風情がある。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
弘南鉄道弘南線。尾上高校前駅。
弘南鉄道弘南線。尾上高校前駅付近。
弘南鉄道弘南線。津軽尾上駅の近くの踏切。
弘南鉄道弘南線。柏農高校前駅。
弘南鉄道大鰐線。JR奥羽本線との交差。
弘南鉄道大鰐線。JR奥羽本線との交差。
<農家蔵の雪景色> 青森県弘前市 2009年 2月 1日撮影
津軽平野の農村集落では立派な農家蔵が見られる。
明治以降昭和中期ごろまでに建てられたもの。
特に、戦後の農地解放で自作農になった農家が競って建てたものが多いと聞いた。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
中はどうなっているのか興味が湧く。
土壁が不思議な色合いになっていた。
<燃える登り窯・津軽金山焼> 青森県五所川原市 2009年 2月 14日撮影
夕闇の中、津軽金山焼の窯場を覆う上屋から炎の色が漏れていた。
中に入ってみると若い青年が一人で火の番をしていた。
今日で3日目、ちょうど中間日だということだった。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
薪をくべた瞬間に炎が吹き出す。
焼成室と燃焼室。
これより下はHDR画像です。
<春待つ津軽富士見湖> 青森県鶴田町 2009年 3月 15日撮影
岩木山を眺める美しい津軽富士見湖に行って来た。
農業用ため池として土堤の長さが日本で一番長いと聞いた。
「長い」つづきで「日本一長い木の橋」「日本一長生きの橋」との愛称のある「鶴の舞橋」がある。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
鶴の舞橋、別名:日本一長い木の橋、日本一長生きの橋。
春のしろかきに向けて満水。
西風に押されて東の湖岸は氷。
− 前のページへはブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください −
− 青森県写真集 −