有明海干潟写真集
佐賀県 1997年〜2000年 
■有明海といえば、大きな干満の差と干潟です。
■佐賀平野は有明海の最も奥まったところに発達した干潟を干拓してできた農業地帯です。 
■東与賀町の干拓堤防の外側には広大な干潟が広がっていました。
 堤防の上に立って眺めてみても海面が見えませんでした。干潟は案外乾いていて、有明海を挟んで対岸にある雲仙や多良岳にも干潟を歩いて行けそうに思えました。
■夕刻を広々とした空間で過ごすと、ある種独特の感慨を持つものです。
干潮時に干拓堤防から見る有明海の夕闇は、潮のざわめきは聞こえず、遠くの山影と平坦な干潟が静寂の世界を演出していました。
■潮の引いた干潟で静かにしていると、トビハゼやムツゴロウやシオマネキがボツボツ動き始めました。アオサギがエサを求めて飛来しました。
■干潟の土の中に生息するワラスボを捕るスボカキ漁をする漁師さんを見つけました。
■干潟には塩生植物の「シチメンソウ」が自生していました。有明海沿岸の人たちには見慣れた植物でしたが、昭和天皇が行幸の際に、側にいた人に「これはシチメンソウという名の植物だよ」と教えてから、注目されるようになったと聞きました。
■紅葉後と紅葉前のシチメンソウです。
■東与賀町の干潟ではシチメンソウの種をまいていました。
■四つ手網  目立った構造物のない干潟にあっては、四つ手網が目を惹きます
■四つ手網が動いている様子を撮ってみました。
■福富町の船着き場です。どちらも満潮時の様子ですが、干潮時の様子も撮ってあります。
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■有明町の只江川河口に作られた船着き場は、色々な高さの潮位でも船が着けるよう、スロープ式桟橋や水に浮かんで上下するフロート式桟橋が造られていました。
■干拓でできた佐賀平野の中には昔の海岸線の名残の堤防が残されています。二線堤とか三線堤と呼ばれています。
■二線堤の中には大きくて頑丈そうなものもあります。
■干潟を作る土は潟土と呼ばれていました。浮く泥と書いて「ふでい」とも呼ばれていました。小さな粒子の浮泥は水に漂って移動し、満潮の時に岸にあるいろんな物に付着していきます。川が海に出るところに設置された樋門のゲートの回りにも付着して水はけを悪くするので、時々洗い流してやる必要があります。そんな時には消防用のポンプ車とホースが大活躍します。
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