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江戸の原型と神田川の形成
■徳川家康が秀吉に命じられて江戸に入った時は、現在の東京駅と皇居の間には「日比谷入江」が東京湾から入り込んでいました。東京大学がある本郷台地は南に伸びて東京湾に突きだして半島のような「江戸前島」を形成していました。江戸前島の南端付近に現在の新橋があり、北に向かって有楽町、東京、神田、お茶の水と立地していきました。
■神田川の原型は「平川」だというのが通説です。「平川」は日比谷入江に注いでいました。

カーソルを、地図の上や外に動かすと地図が変化します。
現在の主な町の位置を赤丸で示しています。

カーソルが地図の外にある時の地図は1590年までの江戸の地形です。
平川、小石川、旧石神井川が南流して東京湾に注いでいました。

カーソルが地図の上にある時の地図は1620年頃の江戸の地図です。
日比谷入江が埋め立てられ、江戸城の堀割も完成に近づいています。
また、平川、小石川、旧石神井川が東流して隅田川に注ぎ、現在の神田川の流路が完成しています。
■天正18年(1590年)に江戸に入った家康は、江戸前島の北端を両断するように船運のための「道三堀」を造築し、日比谷入江に注いでいた「平川」を道三堀につないで流路を変更し、現在の日本橋川の原型をつくりました。 
■慶長8年(1603年)に征夷大将軍に任ぜられた家康は江戸改造に本格的に取り組みました。諸侯に命じて、神田台を切り崩し、江戸前島の中央に外濠を掘り、江戸城の堀割を掘削し、日比谷入江を埋め立てて行きました。
■元和6年(1620年)の天下普請で、平川、小石川、旧石神井川は東流して隅田川に直接流れ込むように付け替えられました。これで、現在の神田川の流路が完成しました。
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