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スペイン写真集
スペイン Spain  
■1988年5月にスペインのアンダルシア地方に行きました。逢坂剛の直木賞作品「カディスの赤い星」を読んだことでカディスという地名 が頭の中にありました。ただひたすらマドリードからカディスまでレンタカーを走らせ、途中、トレド、グラナダ、セビリヤ、グラナダに立ち寄りました。
2004年10月記述
■スペイン広場のドンキホーテ像。大はしゃぎのスペイン人の観光客に気押されてこっそり記念撮影しました。ドンキホーテ活躍の舞台であるラ・マンチャ地方を走っていると、遠くなだらかな丘の上に廃墟らしきものと、かすかに風車が見えてきた。あの有名な物語の世界が誰からも関心を払われることなく悄然として荒野にある、そんな感慨を持って写真に撮りました。しかし、この場所がドンキホーテの故郷カンポ・デ・クリプターナかどうかは確認していません。
■トレド
「パラドール・ナシオナル・コンデ・デ・オルガス」のテラスからトレドを一望する素晴らしい眺望を堪能しました。
トレドの町中は小さな坂道でできている感じで、あちこちに象嵌細工、寄せ木造りの小物、絵皿など焼き物の小店がありました。今は窓辺に草花や観光客向けのフレンドリーな看板がいたるところに見られますが、石畳と石壁が入り組みながらも整然と整備された市中の様子は中世の威厳とともに圧迫感も感じられました。
タホ川に架かるサン・マルティン橋は石造りのアーチ橋でした。トレドはタホ川で囲まれた天然の要害と言われているようですが、タホ川に落ち込む崖の地盤の質感とサン・マルティン橋の質感が同じなので、トレドの土地から橋をひねり出してきたような感じがしました。
■グラナダ
グラナダはクラシック・ギター曲「アルハンブラの想い出」のトレモロの繊細なイメージによって心惹かれる場所でした。グラナダの町に着いたとき、かわいいパレードに遇い、ますます好感度がアップしました。
まるで岩山をゴリゴリと削ったような無骨な外観のアルカサバ(城塞)を通ってアルハンブラ宮殿に入っていったので、内部の精緻さとのコントラストが際だちました。
アラビア文字を意匠化した細かなアラベスク文様の美しさと、カラフルでポップな雰囲気を持つタイルの組み合わせを面白く眺めていると、二姉妹の間と大使の間の天井の細密な鍾乳石飾り(モカラベ)に圧倒されました。乾燥した厳しい風土に暮らしたイスラムの人々は、欲して止まない物全て、すなわち、水と緑と女性という潤いや癒しを中庭(パティオ)に囲い込んで独占していたようです。
    
    
■セビーリャ
バチカンのサン・ピエトロ寺院、 ロンドンのセント・ポール大聖堂に次いで世界で3番目に大きくスペインで最大の聖堂であるセビーリャ大聖堂がありましたが、ゆっくり町の中を散策することにしました。グアダルキビール川の河畔に黄金の塔を見つけましたが、”黄金の”と言うからには金ピカの建物を期待していた私たちは単純すぎたのでしょうか、シンプルな姿形の塔でした。
■コルドバ
グアダルキビール川に架かるローマ橋とメスキータを望む。このメスキータこそ、イベリア半島が文明の衝突の舞台であることを象徴する建物と言えるでしょう。メスキータとは単にイスラム教のモスクを意味するそうです。コルドバのこの建物はキリスト教会に改造されようとしたが、イスラム建築の美しさに打たれた国王によりモスクの様式を保存されたという歴史をもっており、キリスト文明が異教イスラム文明を受け入れたという希有な事実の証人と言えるでしょう。
コルドバではメスキータの横の旧ユダヤ人街のホテルに宿泊しましたが、入り組んだ通路の奥の部屋でした。

■コルドバの移動遊園地
コルドバの広場には移動遊園地がやってきていました。メリーゴーランドや観覧車は小ぶりで華奢な作りなので、子どもと一緒に夜遊びしようという雰囲気でした。小さな観覧車は大人二人が並んでやっと座れる椅子だけの構造で、いったん回り出すと猛スピードで何周も回り、前後の客がワーキャー騒いで目が回りそうなおもしろさでした。
■スペインの概要
面積
人口
首都
人種
言語
宗教
50.6万km2(日本の約1.3倍)
約4,272万人(2003年12月)
マドリード(マドリード市人口約310万人)(2003年12月)
スペイン人
スペイン(カスティージャ)語(バスク語、カタルニア語、ガリシア語が地方によっては使用されている。)
憲法上の信仰の自由が保障されている(但しカトリック教徒が圧倒的多数)
■スペインの略史
1492年
1588年
1936年
1939年
1975年
1977年
1978年
グラナダ陥落。キリスト教徒によるスペイン支配確立。コロンブスアメリカ大陸到達。
無敵艦隊英海軍に敗北、以後スペイン帝国衰退へ。
〜39年 スペイン内戦。
フランコ政権。
フランコ死去、ホァン・カルロス一世即位。
総選挙の実施(41年振り)
新憲法制定
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