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イラン写真集カスピ海沿岸
イラン・イスラム共和国 Islamic Republic of Iran 
■1993年4月にイランのテヘランからエルブールス山脈を越えてカスピ海沿岸に行ったときの写真です。 
2004年8月記述
■人々
 レストランでナンを焼く人は威厳があるけれど写真には協力的だった。宗教の持つスタイルやヒゲづらの風貌からは取っ付きにくそうな風情でも、心根は人恋しいのが人間だと確信させてくれるような人たちでした。
■カスピ海沿岸の農村で出会った少年たちは はにかみながらも写真に写りたがっていた。
 農夫の大人たちは写真に媚びたりせず無視しつつも撮られることは嫌ではないようでした。
■カスピ海側のホテルの朝食です。
 ハチミツ、チーズ、バター、ミルク、オレンジジュース、目玉焼き、トマト、紅茶にナンのようなパンが付いています。たいへんヘルシーで美味しかった。
 ホテルのボーイさんは一生懸命働きながらも誠実そうな笑顔でした。
■テヘランの市場で働く人たちはみんな元気で愛想が良かった。商品の野菜はどれもきれいで、丁寧に積み上げられていました。
■カスピ海側の町です。日本では車道にあたるところに白線が引いてあり、人々がのんびり歩いていました。男性はカメラを気にしませんが、女性はカメラを嫌っているようで、レンズを向けるのは憚られました。
■チャドルをまとった女性は敬虔なモスリムで人前では絶対に肌を見せないかと思いきや、空港の待合室では静かに黒ずくめであった女性たちが、飛行機が離陸するやいなやチャドルを取り去り、タイトなミニスカート姿とともに美しい艶やかな笑顔を振りまいていた。まわりの男性客たちからヤンヤの喝采が送られていました。
 帰国後イスラム教について調べたところ、コーランには「ヴェール」の着用を具体的に義務付けるような文言はないそうです。ただし、「女性はつつしみ深くふるまい、夫や子供など身近な者の他には、美しいところをやたらに見せてはいけない」と記述されているそうです。
■ノンアルコール■
イスラム教国のため、レストランではノンアルコールビールしか飲めませんが、不思議なことに、琥珀色の液体片手に話がはずむものです。「コカ・コーラ」は世界中で手に入るようです。


■会議のテーブルには柑橘類やお菓子が置かれ、雰囲気を和らげていました。
■自家製ビール■
 一般のレストランではアルコール飲料を飲むことは出来ませんが、プライベート空間である私邸ではアルコールを飲んでもお咎めはない。しかし、一般人ではアルコールを手に入れることができないため、日本人の間でビールの自家醸造をしていました。ヨーロッパでビンと打栓器(栓をする道具)と栓用の王冠を調達してきて楽しみながら作るそうです。
 私がご馳走になったビールはビンの底に何かが溜まっていましたが、その沈殿物が舞い上がってこないように静かにコップに注ぎ、ビンには少し残しておきました。イスラム教国でビールを飲んでいるんだということだけで、何かしてはいけないことに手を出すときの高揚感に襲われ、味はよく分かりませんでした。まさに生ビールということで、栓を開けたとたんにビンの中身全部が泡に変化したかのようにとうとうと流れ出してしまうビンもありました。ビンの底の沈殿物は酵母なので次の仕込みに再利用すると言っていました。

■テヘラン市街■
 イランの首都テヘラン市内からは、北に雪を冠したエルブールズ山脈が見えます。
ホテルにいると、イスラム教の礼拝を呼びかけるアザーンが窓外から聞こえてくる。男性の声で歌うような節がついており、なかなか異国情緒を増幅して味わいがありました。
■いくつか建設途中のの建物が見られましたが、よく見ると建設用のクレーンを設置したまま放置されているものもありました。
■市内の主要道路では、スクスクと枝を高く伸ばした並木が印象的です。
■道路の側溝を見ると雨も降っていないのに水が流れています。よく見ると、歩道側の植え込みの中に水が引き入れられており、並木に水をやる灌漑用の水路になっていました。

■エルブールズ山脈■
テヘランからカスピ海に向かう道は、前半はゴツゴツした岩塊や巨大な地層の褶曲に圧倒される。
遠く雪が積もった独立峰が見え、沿道に雪が残る峠付近にはスキー場のリフトがあった。
峠を越えると緑の植物が覆う山腹となり、これが同じ山の斜面とはとても思えない。

■水田地帯■
 平地に降りると日本の農村風景と見まがう水田地帯が広がっている。春早いため、田んぼには稲は植わっていないが、明らかに水田である。荒起こしが済んで水を引き入れ始めた田んぼや、一昔前の日本でも見られた苗代で育苗の準備をしている光景が見られました。日本で使われているサイズの耕耘機を使っている姿もありました。
集落の建物や塀にはレンガが使われていました。

■海水浴場■
宿泊したホテルのすぐ裏手にはカスピ海の砂浜があった。
砂浜から沖合いに向かって人の背丈以上の木杭が一直線に並んでいます。まだ(海)水浴シーズンではなかったので杭だけだが、シーズンになると杭の間に布などで目隠しが施され、砂浜が男性用と女性用のエリアに区分されることになるそうです。
長閑な日差しの下で黒いチャドルをまとったご婦人方が波打ち際で遊んでいた。チャドルの裾が水に浸かりそうなのだが、お構いなさそうにはしゃいでいました。
■天候が荒れるとカスピ海は豹変し、打ち寄せる波は海の波浪そのものの姿でした。
■イランについての私の変なイメージ?
  
 私にとっては、アラビアンナイトやベリーダンスのハーレムや一夫多妻制など男性中心社会のイメージが強いイラン≒ペルシャである。
 1979年のイスラム革命以後しか知らない人は、私のこんな連想をいぶかしく思うことだろう。
 子どもの頃のテレビ番組で、オトナの男といえば、アラブの大富豪の財宝を巡って暗躍する国際組織と戦う、スパイ(秘密工作員)映画にでてくる007ジェームス・ボンドやナポレオン・ソロであった。一人敵地に乗り込み危機を突破して任務を果たし、ご褒美のように美女の口づけを受ける場面・・・、そんな場面の背景は何故か砂漠のオアシスであったような気がする。
 イスラム革命以前のイランを治めていたパーレビ国王というのは相当な男前で、石油収入による財力にものをいわせて華やかで贅沢な生活を謳歌しているというイメージがある。そのパーレビ国王は、1953年、一時イランを追い出されたが、アメリカのCIA工作員の暗躍によって再び返り咲くという事件があったらしい。なんとも、映画のスパイとCIA工作員、アラブの富豪とパーレビ国王、などと想像をたくましくしてかってにイランのことを羨ましく思っていたものである。
■イランの概要
面積
人口
首都
人種
言語
宗教
1,648,195km2(日本の約4.4倍)
6,490万人(02年3月)(イラン中銀発表)
テヘラン
ペルシャ人(他にアゼリ系トルコ人、クルド人、アラブ人等)
ペルシャ語、トルコ語、クルド語等
イスラム教(主にシーア派)、キリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教
■略史
 紀元前2000年頃
 紀元前9世紀
 紀元前5世紀
 紀元前330年
 
  226年
  651年
 1220年
 1258年
 1501年
 1796年
 1804年
 1925年
 1951年
 1963年
 1979年
 1979年
 1980年
 1989年
 1989年
 1989年
 1993年
 1997年
 2001年
アーリア人種系イラン人がイラン高原地帯に侵入
アッシリア帝国がイラン高原北西部に侵入
アケネス朝ペルシャ:ペルシャ王キュロス2世がメディア、リュディア、新バビロニアを征服
アレキサンダー大王が侵入
バルティア王国 (シルクロードの発達)
ササン朝ペルシャ
ササン朝ペルシャの滅亡(アラビア民族の侵入)
モンゴルの侵入
イル・ハン国
サファビー朝 (イスマイールによる建国)
カージャール朝
第一次イラン・ロシア戦争
パーレビ朝
イラン石油の国有化
白色革命(ホメイニ師逮捕)
イラン・イスラム革命(パーレビ国王亡命1/16、ホメイニ師帰国)
11月4日在イラン米国大使館占拠事件
〜90年イラン・イラク紛争
6月3日ホメイニ師死去
6月4日ハメネイ大統領を最高指導者に選出(専門家会議)
7月28日ラフサンジャニ大統領(国民投票)
6月ラフサンジャニ大統領再選
5月ハタミ大統領
ハタミ大統領再選
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