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エルサルバドル共和国Republic of El Salvador |
■1994年1月〜4月、中米のエルサルバドルに行ったときの写真です。 国連エルサルバドル監視団(ONUSAL)が選挙監視活動をしていました。 |
2004年9月記述 |
■紛争の痕 長い内戦を経た国はどんなことになっているのだろうと、おっかなびっくり各地を見て回りました。行く前の情報では、往来の多い幹線道路沿い以外には地雷があるので立ち入らないようにということであった。 エルサルバドルではパン・アメリカン・ハイウエイが東西に縦断しています。レンタカーを借りて首都サンサルバドルから西部の中核都市サンタアナ、西部グアテマラ国境の町サンクリストバル、いったん首都に戻って東部の中核都市サンミゲルを経て東部ホンデュラス国境の町ラウニオン、北部山地ラパルマにも足をのばしました。 武力紛争の痕跡は、首都でひときわ目に付く高層ビルのミラーガラスが無惨に破られていたことと、レンパ川に架かる橋が破壊されており、いわゆる仮設橋梁になっていることに見られるぐらいだった。人々の笑顔からは内戦の痕はつたわってこなかった。 1980年頃からの内戦が終結したばかりといっても、1990年からすでに政府とゲリラとの間で和平対話が始まっていたわけだから、内戦が始まってから14年、対話が始まってから4年も経っているのだ。 しかし、幹線道路沿いを武装した兵隊が哨戒している姿をいたるところで見かけました。沿道の家屋で営まれている日常的な生活の姿とのアンバランスさが際だっていました。 |
■内戦の痕跡? 幹線道路沿いを武装した兵隊が哨戒している姿をいたるところで見かけました。沿道の家屋で営まれている日常的な生活の姿とのアンバランスさが際だっていました。レンパ川にかかる橋は破壊され、仮り橋になっていました。 |
■パン・アメリカン・ハイウエイ 道路は内戦の傷痕といったものを感じさせませんでした。パン・アメリカン・ハイウエイは首都サン・サルバドル付近では片道二車線対面四車線のしっかり舗装された立派な道路でした。比較的起伏のある地形を悠々と走り、コニーデ型の火山地形をよく見かけました。 |
■マーケット 首都でも地方でも活気を感じるのは人々が行き交うマーケットです。 |
■選挙キャンペーン 政党のマークが至るところに見られました。看板、電柱、路面、山肌・・・。田舎町に行くほどゲリラ組織を前身とする政党「fmln」のマークが目立っていたような気がします。 |
■投票所に来た有権者の皆さん 有権者は投票所が開く前から門の前で並んで待っていました。自分の有権者登録を確認して投票用紙を受け取る→支持する政党のマークに×バツ印を付け投函する→一本の指にインクを付けられるという手順でした。政党の立会人達は有権者の手続きを手伝ったりして和気あいあいとした光景が見られました。政党が差し向けたトラックなどに便乗して続々と投票所にやってきていました。 |
■海辺のリゾートにはゆったりした時間が流れていました。 |
■エルサルバドルに対する予断 中南米の麻薬マフィアや共産ゲリラに対する予断はどこから来るのだろうか?キューバのカストロやチェ・ゲバラなど共産主義者が中南米の貧困層やインテリ層に浸透することを阻止しようとするアメリカ政府の対中南米政策、そのアメリカ政府に支援された中南米各国政府の腐敗の構造、救いようのない貧困と搾取、冷酷な支配階級とそれに抵抗する共産ゲリラの容赦ない行為・・・。 強いアメリカを標榜したレーガン大統領の邪険のないイメージとは裏腹な、CIAによる親米政権支援。エルサルバドルを舞台にしたオリバーストーン監督の映画「サルバドル/遙かなる日々」(1986年)で描かれた左翼ゲリラと政府軍兵士の容赦のない仕打ちに胸がむかついていた。中南米人は人の痛みや命の尊厳を一顧だにしない冷血漢だという予断をいつの間にか植え付けられていたような気がする。 今回出会ったのはラテン系の人なつっこい人々だった。当たり前のことなのに・・・。 |
■エルサルバドルの概要 | |
面積 人口 首都 人種 言語 宗教 一人当たりGDP 通貨 |
21,040km2(九州の約半分) 人口 664.2万人(2003年経済省統計局) サンサルバドル スペイン系白人と原住民の混血85%、インディオ5.5%、白人10% スペイン語 伝統的にカトリック 2,258ドル(03年中銀) ドル及びコロン(01年1月よりドル化) |
■略史 | |
1525年 1821年 1823年 1841年 1962年 1979年 1980年 1990年 1992年 1994年 2001年 |
スペイン人がサンサルバドル市を建設 独立宣言 中米諸州連合結成 中米諸州連合から分離独立 国民協議党政権成立 クーデターによりロメロ政権に代わり革命評議会発足 極左ゲリラ5グループがファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLN)を結成、内戦に。 政府とゲリラ間の和平対話再開。 91年7月−95年4月国連エルサルバドル監視団(ONUSAL) 政府とゲリラの間で和平合意調印、内戦終結 内戦後初の大統領選挙で国民共和同盟(ARENA)のカルデロン候補が当選、6月1日就任。 1月及び2月に大地震が発生、死者1,259名、被災者1,613名 |
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