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ドイツ連邦共和国 Federal Republic of Germany |
2007年2月記 |
■2007年2月ドイツ連邦共和国のベルリンに行った時の写真です。 |
■カイザー ヴィルヘルム記念教会:尖塔が崩れ折れた姿で立っている教会。何一つ手を加えていない、原爆ドームと共鳴するメッセージを持つ。内部にはモザイク画も残る。記念協会を挟んで、八角形の教会と六角形の塔が青い姿で立っていた。 | ||
■ユダヤ博物館:ニューヨークの世界貿易センター跡地再建コンペに勝った建築家ダニエル・リベスキンド(ポーランド生まれ)が、1988年に、やはり、コンペで勝ち取った建築物。外観だけでは建築思想の神髄を捉え得ないが、特異な存在を主張する建物であることは伝わってくる。 |
■ペルガモン博物館:トルコからベルリンに移設したゼウスの祭壇があったペルガモン遺跡の名を冠した博物館。 まるごと再現されている彩色煉瓦のバビロンのイシュタル門を是非見たいと思っていた。 |
■旧博物館ALTES MUSEUM:19世紀初頭から進められた博物館島の整備事業が2015年の完成を目指して進められている。東西統合後の一時期にシャルロッテンブルク宮殿前のエジプト博物館にあったコレクションが現在ここで展示されていた。 | ||
ネフェルティティ王妃胸像を所蔵していることで有名で、イオニア式列柱の間の垂れ幕にも大きな写真が使われていた。 | ||
■ブランデンブルク門:プロイセン王国の首都ブランデンブルクに通じる門。ベルリンの壁が門の前を通っていたため、東西に分断されたベルリンを象徴する門のように見えていた。また、第二次大戦の終末、門の上に掲げられていたナチスの紋章を爆破する映像を撮影し、ナチスドイツの首都ベルリン陥落を象徴的に世界に喧伝したという記憶がある。 |
■ベルリンの壁:1961年から1989年までの間、西ベルリンを物理的に孤立させていた壁。高さ4m、延長165kmあった。 |
■ベルリン大聖堂: |
■国会議事堂: | ||
■街角風景 |
■車両 |
■ウィンドー |
■人々の時間 |
■レストラン・バー |
メモ■ギリシャ・ローマ時代の柱の様式■ |
■ドーリア式の柱 古典ギリシャ建築様式の前期。柱頭に装飾を持たない。柱身には微妙な膨らみ(エンタシス)を持たせてあり、20本の条溝が掘られ、直接基壇に接する。素朴で荘重、重厚、男性的。パルテノン神殿。 ■イオニア式の柱 柱頭の左右に垂れ下がる渦巻形の装飾を持つ。柱身はドーリア式よりも細く、24本の条溝が掘られ、基壇との間に柱礎が置かれる。流麗で女性的。 ■コリント式の柱 イオニア式の柱頭の渦巻き形の装飾に代えて,柱頭の周囲に多数の葉の型を上下3段に彫刻している点が特徴。そのほかの点はイオニア式と同様であるが,全体としてさらに華麗な感じになっている。 |
■ドイツ連邦共和国の概要 | |
面積 人口 首都 人種 言語 宗教 |
35.7万km2(日本の約94%) 8,245万人(2005年末)、人口密度約231人/km2(独連邦統計庁) ベルリン(約339万人) ゲルマン系を主体とするドイツ民族(在留外国人数約730万人) ドイツ語 新教約2,800万人、旧教約2,700万人(独連邦政府新聞情報庁) |
■ドイツ連邦共和国略史 | |
911年 962年 1701年 1871年 1918年 1933年 1949年 1955年 1961年 1972年 1973年 1989年11月 1990年10月3日 |
選挙王政による初代ドイツ国王コンラート一世即位 神聖ローマ帝国成立(〜1806年) プロイセン王国成立(〜1871年) ドイツ帝国成立(いわゆる「ビスマルク憲法」制定) ドイツ革命、ワイマール共和国成立 ヒトラー首相に就任、ナチ党の一党独裁制確立(〜45年) 西独基本法の成立、西独、東独の成立 パリ条約発効、西独主権を取得。西独、NATOに加盟。東独ワルシャワ条約機構に加盟 「ベルリンの壁」構築 東西両独、基本条約を締結、関係正常化 東西両独、国連加盟 「ベルリンの壁」開放 東西ドイツ統一 |
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