■青森県写真集■
青森県の 『 人々の生活、生業、仕事、伝統 』 を集めたページです。
2006年、2007年、2008年の3年間に撮影しました。
   <焼きイカ> 青森県鰺ヶ沢町 2006年 8月27日撮影
焼きイカ通り
五所川原から西へ津軽平野を横断して日本海に出たところに鰺ヶ沢がある。
鰺ヶ沢の海沿いの道(国道101号の旧道)には一夜干しのイカをその場で焼いて食べさせてくれる店が並んでいます。1匹250円で適当に切ってくれます。焼かれているのは「スルメイカ」、たくさん獲れるので「マイカ」とも呼ばれています。
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焼きイカ通り
五所川原から西へ津軽平野を横断して日本海に出たところに鰺ヶ沢がある。
鰺ヶ沢の海沿いの道(国道101号の旧道)には一夜干しのイカをその場で焼いて食べさせてくれる店が並んでいます。1匹250円で適当に切ってくれます。焼かれているのは「スルメイカ」、たくさん獲れるので「マイカ」とも呼ばれています。
<りんご市場> 青森県弘前市 2006年 9月16日撮影
弘前市の国道7号線沿いには広大な敷地を持つ総合地方卸売市場「弘果弘前中央青果株式会社」があります。
早生りんごが収穫の最盛期ということで、16日は「サンつがる」を中心に34,900箱の入荷があったそうです。
10月のりんご収穫最盛期には200,000箱以上入荷するそうです。今日の6倍以上のりんご箱で溢れるということです。
懐かしいりんごの木箱で一杯でした。
市場の見学は事前に電話して確認しておいたのですが、今回は担当の方が広い構内を案内してくださいました。多謝。
  参考ページ → 弘果弘前中央青果株式会社会社案内施設見学
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第2卸売市場(6311平方メートル)の競りは半分終わった頃でした。
「つがる」と「サンつがる」。
屋内市場に入りきらないりんご箱が駐車場に並べられています。
競りは2つのグループで行われていました。30分で全て競り落とされました。
「黄王」と「サンつがる」。
第3卸売場(4783平方メートル)はりんご箱で満杯。
次から次へと競り落とされていきます。
競り落とされたりんごはどんどん運び出されていきます。
りんご豆知識
青森県のりんごは、1875年に最初の苗木3本が植えられてから、様々な苦難を乗り越えてきました。
苦難その一、植物としての「病気」と「害虫」の発生。
モニリア病、りんご赤星病、斑点性落葉病、黒星病、りんご腐らん病、斑点落葉病、高接病とたくさんの病気の発生、ゾウムシ、綿虫、シンクイ虫、尺取虫の大発生。
苦難その二過酷な気象
大雪による幹の裂開、霜害、ひょう害、水害などで樹体を痛めつけられ、台風や強風によって収穫間近の落果
記憶に新しいところでは、1991年9月28日の台風19号は青森市で観測史上最高の最大瞬間風速53.9m/sを記録し、大量の落果があり、全国からりんご農家支援の手が差しのべられました。
苦難その三嗜好果物との競合
ミカンイチゴの増産、バナナの輸入増、リンゴ果汁輸入自由化、オレンジ輸入自由化、りんご輸入相手国の拡大など、競争相手の勃興。
対策その一、手間を惜しまない。
手間をかけることによって消費者の選好に合った商品を生産。開花から収穫までの間に、りんご農家は樹上の実に数回触れることになる。
実すぐり(摘果):大きく、良い形になる中心果を残し、側果をつみ取る。実と実がぶつかって擦れないよう適度な間隔を空ける。
袋かけ、袋はぎ:病害虫から実を守る。着色を良くする。袋をかけて育ったりんごは貯蔵性が良い。陸奥という品種は、袋をかけずに育てると黄緑の実(”青い”と見る人もいる)となり、袋をかけて収穫直前に袋を除いて日光浴をさせると鮮やかな朱色の実となる。
葉とり:実の回りの葉を摘み、実に太陽が良く当たるようにして着色を促進する。ただし、植物にとっては葉が多いほうが光合成も十分できるので、甘い実を作ることができる。最近では、「葉とらずりんご」と称して見た目は悪くとも糖度・栄養分が多いりんごとして売り出している。
玉まわし:実の各面を太陽に向けてまんべんなく着色させる。
対策その二、豊富な品揃え
夏緑、祝(いわい)、黄王(きおう)、未希ライフ(みきらいふ)、つがる、彩香(さいか)、千秋(せんしゅう)、紅玉(こうぎょく)、スターキング・デリシャス、世界一、ジョナゴールド、北斗、陸奥(むつ)、シナノゴールド、王林(おうりん)、ふじ、金星(きんせい)などたくさんの品種が栽培されています。私の子供の頃には国光(こっこう)という名のりんごがあったと記憶しています。品種開発は、@消費者の嗜好の多様化、A病害虫への強健性、B流通販売過程での日持ちの良さ、などを狙いにしているようです。
りんごの授粉
りんごは同じ品種の花粉では実がならないので、他の品種が側に植わっている必要があります。
昔は耳かきの綿毛のような道具で花粉を付けて回る様子が報道されていましたが、昭和50年代からマメコバチという蜂を使って授粉させる方法が普及しています。
津軽地方では、りんごの花が咲く頃は学校が休みになったそうです。
昭和40年には天候不順で花が一斉に咲いたため、中学生や高校生、自衛隊員を動員して授粉作業をしたそうです。
むかし人工授粉をやっていたという人に手順を聞きました。
まずりんごの花を採ってきます。1つの株に5つくらいの花が咲くので、真ん中の花以外の側花を集めます。小さな目の網に花を擦りつけて雄しべの葯(ヤク)だけを集め、りんご箱の中で電球を付けて暖めると、翌日には葯がはじけて花粉が出てきます。集まったりんごの花粉に石松子(せきしょうし:ヒカゲノカズラの胞子)という増量剤を加えて準備完了。石松子は赤く着色されているので授粉済みの花の目印ともなります。
木守りんご (きもりりんご)
果樹の枝の高いところに実を1つ残す風習。幸魂(さちだま)信仰の流れ。
「全部取ってしまうと、来年は実がならない」次の新生を促す種として残していると思われる。生命の再生を願い、豊作を祈る。自然の営みの中で収穫させてもらっていることへの畏敬の念。鳥や虫などと自然の恵みを分かち合う心の顕れとも。
「木守(きまもり)」「木(こ)もり」「木まぶり」とも言われる。柿や柚でも見られる。
『富士見ゆる村の寧しや木守柿   角川源義』
<拾いコンブ> 青森県六ヶ所村泊 2006年 9月30日撮影
ハマギクを探して下北半島の海岸に行ってみました。
海岸の岩場に白い花の姿がありました。
ハマギクだと思い写真を撮り、帰って調べたところ、コハマギクでした。

波に洗われる岩場の海岸ではコンブを拾う人の姿がありました。
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海岸の堤防に拾いコンブがズラリ。
ゴツゴツの岩場に白い波。
切れて漂うコンブを思い思いの道具で引き寄せていました。
コンブが集まってくる岩の割れ目。
結構な波が来ます。
岩の割れ目の奥で汐が吹き上がってコンブも投げ出されます。
おばあちゃんも頑張ってます。。
<海鮮食材> 青森県むつ市川内町、大間町 2006年 10月21日、22日撮影
秋は食欲の秋。下北の海の恵みを堪能しました。
21日は川内町の陸奥湾の恵み、22日は大間町の「超マグロ祭り」をのぞいてきました。
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陸奥湾といえば、ホタテとナマコ。赤貝も美味かった。
小ぶりの赤貝は味が凝縮して美味しい!ナマコがどんぶりに一杯!
大間といえば、マグロの一本釣り。マグロのぼりが泳いでます。
マグロの解体ショーと即売に並ぶ列。
海鮮バーベキュー。イカの塩辛をホタテ貝殻でワカメと一緒に焼き混ぜてました。
マグロの血合いにイカ、タコ、サザエ。
寒そうなコンサート。若い外国人が多かったかな。
<下北の営み> 青森県むつ市脇野沢、佐井村、大間町、風間浦村 2006年 11月 3日、4日撮影
下北半島のまさかりの刃の下辺、脇野沢で人々の営みの一端を見た。
翌日、佐井村から大間町を訪れ本州最北の地を確認した。
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九艘泊。
鯛島。午後から天気は下り坂。
薪。
サル柵。
朝の本州最北端の地。
ツルアラメを駆除していた。
テーマパークか?
<りんごの収穫> 青森県弘前市 2006年 11月 11日撮影
りんごの収穫が終盤にさしかかっているというので、弘前のりんご園を見に行った。
りんご園でもぎ取られたばかりのりんごはたいへん美しい。
しかし、当日は曇り。もぎ取っていた農家の人は、「晴れていたらもっと綺麗だよ」と教えてくれた。
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りんごをカゴからりんご箱に、黙々と移し替えている人が見えた。
りんごの大きさキズをチェックしてりんご箱に仕分けしていく。
りんご園の奥の方では二人の女性がりんごをもいでいた。
カゴに盛られたりんごを青年がピストン輸送。
ウロのある古木が作業を見守っていた。
<ドカ雪> 青森県青森市 2006年 12月 3日撮影
ドカ雪が来た。アメダスでチェックすると青森市の積雪深は29cm。たったの一晩で、である。
なかなか積もらないなと思いながら、雪用タイヤに交換し、除雪用のスコップや車の雪落とし用のブラシなどを買い揃えておいて助かった。
遠出はあきらめ、街中を流してみた。
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朝起きたら、車は雪に埋まってました。
除雪車はスーパーヒーローだ。
市街地も一晩で雪景色。
雪は何もかも隠して美しい景色に変えてしまう。
<ハタハタ漁> 青森県鰺ヶ沢町 2006年 12月 15日撮影
神の魚「鰰」と書いてハタハタと読む。
秋田「しょっつる鍋」が有名だが、青森津軽半島の根元の鰺ヶ沢の海岸にも産卵のため押し寄せてくる。
今年は、12月8日頃から来ていると報道されはじめ、13日頃から大漁になってきたというので、15日に見に行った。
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一艘の船が日の出前にハタハタ漁から帰ってきた。
船の中はハタハタでいっぱい。

 
船からトロ箱に移す。

 
手際よく台の上で仕分けされていく。

 
網に絡めて獲る船もありました。
網からハタハタを外すのが大変。

 
防波堤の上に大勢の人が見えました。
大きなタモでハタハタを捕っていました。
防波堤の上では柄の長いタモを使ってハタハタを掬っていました。

 
防波堤の上でタモを使う人たちの目と鼻の先で、定置網からハタハタをどっさり水揚げしていました。
りんご豆知識
ハタハタは、ハタハタ科に属する冷水性の底棲魚類でウロコを持たない。
「神の魚」鰰、神魚、雷魚、神成魚、神鳴魚、波太多雷魚、霹靂魚、とカミナリと関係のある名前を持つ。

産卵期には秋田県全域と青森県深浦町、鰺ヶ沢町の水深2〜3mの沿岸海藻域に産卵する。
そのため、11月下旬頃から12月中旬頃、男鹿半島から青森県鰺ヶ沢の海岸に大挙して押し寄せる。
ホンダワラ、アカモク、オオバモクなどの褐藻類や漁網などのロープに卵を産み付ける。

産み付けられた卵塊を「ブリコ」と呼ぶ。
「ハタハタの子」であるのに「ブリの子」とはこれ如何に?
(1)海藻に固く産み付けられ、なかなかバラバラにならず、取れにくいことから「離れない子」→「不離子」→「ブリコ」
(2)卵粒を噛むと「ブリッ!ブリッ!」と鳴ることから「ブリッコ」→「ブリコ」
(3)昔、藩主がハタハタの卵の採取を禁じた時、漁師達が「鰤(ブリ)の子」であると、偽って称したことから「ブリコ」
(4)秋田県に漁業技術を伝えた越後や能登方面の漁師達の故郷では冬の雷鳴を「鰤(ブリ)おどし」と呼ぶため、ハタハタ漁中の雷鳴を聞いて「ブリ」と言ったことから「ブリコ」

普段は、島根県から青森県、青森県から宮城県の沿岸底引き漁業で獲られている。
産卵期には、沿岸域の小型定置網で大量に漁獲される。
<津軽点描> 青森県 2006年 12月 23日撮影
特別な思いを持たずに漫然とドライブして「津軽の奥座敷」大鰐と碇ヶ関まで足を伸ばしました。
鰺ヶ沢から弘前を抜け、秋田県境の矢立峠を越えてみました。長走風穴館がありましたが、冬ごもり中でした。雪の積もった歩道を歩くと、木に付いた溶けかけの雪片とボタン雪が落ちてきてビショビショになってしまった。少々暖冬傾向です。
大鰐の地域交流センター「鰐come」で、豆もやしソバを食べました。
大鰐温泉もやしは、江戸時代からの伝統もやし。豆もやしは細さとシャキシャキの歯ごたえが特徴。
大鰐町のシンボルは「ワニ」とスキーですか? 弘南鉄道「大鰐駅」とJR奥羽本線「大鰐温泉駅」が併設されていました。。
「津軽の奥座敷」大鰐温泉郷のさらに奥にある「碇ヶ関」。関所は厳重で厳しい仕置きで名を馳せたそうです。
ここにも良い温泉がありました。ボタン雪が冷たい露天風呂でしたが、独り占めは贅沢でした。関の湯。
<嶽温泉「山楽」> 青森県弘前市常盤野字湯の沢 2007年 1月 13日撮影
「北東北 日帰り温泉 2007年版」を買いました。北東北3県の286湯、青森県内101湯を紹介しています。
岩木山嶽温泉の「山楽」に行きました。露天風呂と内湯があり、硫黄泉は白濁していて混浴でも気兼ねなく入っていられます。
10:00〜19:00。入浴料350円。石けん有り。
つららが下がる「山楽」の入り口。「野天百人風呂」の表示が誇らしげ。
「野天百人風呂」へは長靴に履き替えて30mほど歩きます。裸電球が風呂の場所へ誘っている。
「津軽のゆっこ」の赤いのれんと青いのれんが無ければ入り口も分からない。手前が女入り口、向こうが男入り口。
かけ湯をしたら頭の上の松に積もった雪が背中にドサッと落ちてきた。積雪のお陰で気持ちのよい風情。
女性が一人で入ってきたので、頼み込んで後ろ姿を撮らせてもらった。
上手に目隠しを配してあるので、混浴でも、女性の逃げ場があります。
内湯の入り口。暗くなった宿の軒先に大きなつららが下がっていました。
<温泉旅館「山陽」> 青森県弘前市大字百沢字寺沢 2007年 1月 13日撮影
「北東北 日帰り温泉 2007年版」を買いました。北東北3県の286湯、青森県内101湯を紹介しています。
岩木山神社のすぐ横にある温泉旅館「山陽」に行きました。2湯目。
内湯は適度な広さの湯船でちょうど良い温度。鉄管から豪快に湯が注ぎ込まれている。
8:00〜21:00。入浴料300円。石けん有り。ナトリウム、マグネシウム、炭酸水素塩、塩化物泉。
「山陽」の看板の文字は象形文字的。
どどどど・・・と鉄管から豪快に掛流し。
<雪の岩木山神社> 青森県弘前市 2007年 1月 27日撮影
雪の岩木山神社(いわきやまじんじゃ)に行って来た。重い雪が降る日だった。
岩木山神社は、宝亀11年(780)岩木山頂に社殿が創建され、延暦19年(800)征夷大将軍坂上田村麿が再建して、日本の北門鎮護を担ってきたとされる。
山頂を奥宮と称す。山麓の社殿を下居宮と称し、寛治5年(1091)に奉遷され、本殿、拝殿、楼門や鳥居などの立派な建築物は、江戸時代に津軽藩主為信・信牧・信義・信政らが造営したもの。
雪国。
雪玉で厄除け。
<百沢スキー場> 青森県弘前市 2007年 1月28日撮影
岩木山の山腹にある百沢スキー場に行ってきました。近くに泊まり込んでスキー合宿でした。
27日はリフトに乗っている間に体に雪が降り積もる状態でしたが、28日は時々陽が射すコンディションでした。
23年ぶりのスキーで上半身が筋肉痛で快感?です。変なところに力が入っている証拠です。
驚いたことに、ここ百沢スキー場ではレンタルスキーが無料でした。ただし、対象は50歳以上の人です。
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早朝の別荘周辺。
百沢スキー場。ゲレンデに陽が射しました。宮崎駿アニメに出てくる虫のような圧雪車。
リフトを降りると雲を下に見る。
23年ぶりにはチトきつい。歳のせいか?
<干し餅と注連縄> 青森県五所川原市俵元 2007年 1月28日撮影
地吹雪で有名な五所川原では大寒の前後に寒干しして干し餅を作ります。
昔はあちらこちらの農家の軒先に干し餅がつるされた光景が見られたそうですが、今は業務用にまとまって吊されています。
俵元集落に入っていくと素晴らしい注連縄に出会いました。
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美しい注連飾りを見つけました。
レースのカーテンのような注連縄にお茶目?な細工がありました。
干し餅。田んぼの真ん中の干し場。
お餅はワラで包んで干してありました。
ムシロをかけた干し場と企業的な干し場。
<ホタテ貝耳づり> 青森県平内町 2007年2月24日撮影
平内町はホタテ養殖が盛んな町です。
陸奥湾でのホタテ養殖は海に肥料を施したりエサを播いたりすることなく、陸奥湾のあるがままの飼養力に依存する養殖です。
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船着き場に面した作業小屋でホタテの耳づり作業が行われていました。
機械で貝の縁に穴を開け、ロープに通したプラスチック製のピンに、ホタテガイを手際よくつり下げていました。
ロープにづり下げられたホタテは再び海に帰されます。
1年弱で6cm位に育ったホタテはまろやかな味で美味しい。
<しろうお漁> 青森県 蓬田村 2008年 5月 3日撮影、外ヶ浜町 2007年 4月28日撮影
「しろうお漁」と言えば外ヶ浜町の蟹田川が有名であるが、蓬田村の広瀬川でもしろうおが遡上している。
しろうお(素魚)はハゼ科に属する体長4〜5センチの魚で、産卵期に海から川を遡ってくるところを梁(やな)で集めて捉えられる。
生きたままの「踊り喰い」や卵とじで食される。
昨年、蟹田川で撮影した様子と併せて掲出する。
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広瀬川での「しろうお漁」。魚を導く梁(やな)は短い。
しろうお。
蟹田川での「しろうお漁」。魚を導く梁(やな)が長い。
梁(やな)の開口部に据えられた四角い網にしろうおが集まってくる。
<北の漁港> 青森県外ヶ浜町梹榔集落 2007年 5月 25日撮影
三厩から竜飛に至る国道339号線沿いの漁村集落は海岸線の山に張り付いている。
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津軽半島竜飛近くの山に張り付く舟揚場。梹榔集落。
<袰月海岸・テングサ干し> 青森県今別町袰月 2007年 6月 2日撮影
下北半島から昇る朝日を眺めようと思ったが、靄で下北までの視界はなかった。
今別町の最北端に位置する袰月海岸沿いの道を走ってみた。
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鋳釜崎から高野崎の上に昇る朝日を眺めた。
袰月漁港でテングサを干していた。トコロテンやゼリーの材料となる。
<高野崎灯台・テングサ干し> 青森県今別町袰月 2007年 6月 9日撮影
高野崎灯台に着いた時、灯台は靄に霞んでいた。
袰月海岸の砂利の上でテングサを干していた。
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オシャレな高野崎灯台。
高野崎灯台から大石を見る。
テングサ干し。
<恐山イタコ> 青森県むつ市 2007年 7月 21日撮影
下北半島の日本三大霊場の一つ、恐山の夏の大祭に行ってきた。
10のイタコ小屋が並び、口寄せの順番を待つ人の列が終日そこにあった。
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イタコ小屋の前の列。
イタコの口寄せ。
霊場の一角。
<恐山温泉> 青森県 2007年 7月 21日撮影
恐山の境内には四つの湯屋がある。
湯の湧くところに上屋を造ったという風情で、山門から地蔵堂に向かう参道の両側にさりげなく三棟が在る。
もう一つは少し離れたところにあるが、参詣の皆さんはほとんど足を向けないようだった。
どの湯屋の床も爽やかに清められた木造で足触りが良く、湯船は良い按配の湯の華のぬるみを持っていた。
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湯屋が三棟写っています。左から、古滝の湯(女湯)、冷抜の湯(男湯)、薬師の湯(男湯)。
冷抜の湯。
薬師の湯。
花染の湯。混浴でした。
花染の湯。女性の入浴者はいませんでしたが、女性が覗きに来ました。
<防雪柵> 青森県青森市 2007年 11月 22日撮影
青森市と今別町の間の国道280号線を走った。
雪が降り続く中、防雪柵の設営作業が行われていた。
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手慣れた作業員の動きが逞しい。
防雪柵が設営されていない路面は白い。
右の写真は防雪柵(吹き払い柵)による風のコントロールによって、雪が吹き飛ばされ路面が黒く見えている。
<南部裂織> 青森県十和田市 2007年 11月 23日撮影
十和田市の国道4号線に道の駅とわだ愛称「とわだぴあ」が2002年に開設された。
青森県の伝統工芸「南部裂織」を保存、体験する施設として「匠工房」が併設されている。
工房には「地機(じばた)」と呼ばれる南部裂織をつくる機織り(はたおり)が60台あるとのこと。
「地機(じばた)」について『人間が機(はた)の中に入って機の一部と化しているのが「いざり機(地機)」の特徴で、扱うのが難しいかわり、慣れればこれに勝るものはない』と白洲正子氏が述べている。
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地機の操作。
地機が並ぶ。
<妙丹柿の里> 青森県南部町鳥舌内 2007年 11月 23日撮影
南部町の鳥舌内(ちょうしたない)地区は、「妙丹柿(みょうたんがき)」の産地だ。
妙丹柿は、粒は小ぶりで種が少ない渋柿なので、干し柿に適しているという。
柿は日本原産の果物で、日本各地に特徴的な品種が生育しており、青森県は柿の北限となっている。
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妙丹柿は背が高いので屋根の向こうに顔を出す。
柿のある風景。
枝は下に向かって流れ落ちるようだ。
集落の屋根を越えてオレンジの実が見える。
名久井岳。
小粒な妙丹柿。地面に落ちた実はほとんど見かけなかった。
 青森県写真集
<そばかっけ> 青森県南部町 2007年 12月 1日撮影
名川チェリリン村に「そばの里けやぐ」がある。
「けやぐ」とは、“親しい仲間”“仲のよい友だち”という意味。
青森南部地方の内陸部では、米がとれなかったので、昔の主食はそばや小麦だったそうだ。
「かっけ」とはお国ことばで「かけら」という意味で、「そばやうどんを打った後のかけらをお湯にくぐらせて食べる料理」というのが「そばかっけ」。
コンブと煮干しと大根と豆腐の湯を用意する。味噌とおろしニンニクで食べる。
三角形に切られたそばかっけ。沈んだかっけが浮かべば食べ頃。
ぶっかけそば。そば餅。
<ゴボウの収穫作業> 青森県東北町 2007年 12月 16日撮影
東北町の国道394号線を走っていると、雪の中でゴボウを収穫する光景に出会った。
青森県の東北町が属する上北地方は畜産と畑作が盛んな地域である。

青森県の食糧自給率は117%で、コメ、野菜、果実、畜産物、水産物、のそれぞれの産出額が600〜800億円とバランスがとれている。
青森県の畑作物生産量は、ダイコン、ナガイモ、ゴボウ、バレイショ、ニンニク、ニンジンなどの根菜類が全国のベスト5に入っている。
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白い雪原に黒い土が見えていた。
土の中からゴボウが次々と出てくる。
ゴボウをバケットに積み込んでいく。
<餅つき> 青森県青森市 2007年 12月 23日撮影
臼と杵で餅つきをした。
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餅米を蒸して杵でつく。
餅米の蒸し器の面白い表情。
蒸した餅米を臼の中でコネコネする。つきたての餅にみんなの手が伸びる。
干し餅用の木枠に入れる。つきたての餅、赤ちゃんを運ぶような手つき。丸め方にも熟練の差が出る。
男も女も餅つき体験。
<南部せんべい> 青森県三戸町 2008年 1月 6日撮影
店先で「南部せんべい」を焼いているところが見られるというので出かけてきた。
円形の型に水で練った小麦粉を入れて焼く「南部せんべい」。
型からはみ出た部分を切り落としたものを「せんべいのみみ」として売っている。
パリパリのみみやフニャフニャのみみなどがあり、店ごとに特徴があって、それぞれのファンがいるらしい。

三戸町で焼かれる「南部せんべい」は他の地域のものと比べると、やや薄手で軽い食感に特徴があり「三戸せんべい」とも呼ばれる。
三戸町には小さなお店が6軒ほどある。
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小山田煎餅店さんの店先。
煎餅を焼く窯。
生地を切る人、生地を焼く人。
<防雪柵> 青森県中泊町、つがる市 2008年 1月 13日撮影
雪が断続的に降る津軽を走った。
西風が卓越する津軽平野では吹き払い式防雪柵が設置されている。
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前方が霞む吹雪。吹き払い式防雪柵によって雪が路面を這う。
<雪下ろし> 青森県黒石市大川原 2008年 1月 19日撮影
夏に火流しを見た大川原集落を通ったところ、屋根の雪下ろしをしていた。  →2007年8月16日 大川原火流し
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バス停とカーブミラーも雪に埋まっていた。
この冬初めての雪下ろしだそうです。
雪の白さに映える蔵の色合い。
<凍み豆腐作り> 青森県青森市酸ヶ湯 2008年 2月 2日撮影
酸ヶ湯の駐車場で凍み豆腐作りをしている現場に出くわした。
前日から一昼夜、屋外の寒風に晒してアメ色になった豆腐を取り入れるところだった。
凍み豆腐は、タンパク質が変性し健康機能性がより高まるそうだ。
アメダスで見ると2月1日から2日にかけての酸ヶ湯の気温はほぼマイナス10℃以下だった。
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一晩でアメ色に変わった豆腐。
棚から下ろして箱詰め作業。
雪を払いながら箱に詰めていく。
酸ヶ湯温泉。
酸ヶ湯温泉。
ロータリ除雪車は頼もしい。103号線は少し先のホテル八甲田まで除雪されている。
<八甲田ゴールドライン雪量調査> 青森県青森市 八甲田山 2008年 2月 22日撮影
八甲田ゴールドラインの酸ヶ湯〜谷地温泉の区間は冬期閉鎖されている。
この区間の開通に向け除雪するのに先立ち、雪の量を調査する作業に同行させてもらった。
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1980年製の雪上車。新潟県高岡市の大原鉄工所で製作された。
酸ヶ湯〜谷地温泉の中間地点まで来た。
地獄沼を見下ろす地点で計測開始。4m80cmのポールを準備する。
石倉岳付近での雪量調査。
北八甲田と南八甲田。
石倉岳を見上げる。
笠松峠。
雪がなくなると樹木で遮られて見られない眺望。
雪に埋もれる眺望。
<除雪作業・八甲田十和田ゴールドライン> 青森県青森市八甲田山 2008年 3月 12日撮影
青森市と十和田市を結ぶ国道103号(通称、八甲田十和田ゴールドライン)は冬期間は雪に閉ざされている。
4月1日の開通に向けて除雪作業が進めらている。
天候に恵まれ、例年より5日は早いペースで除雪が進んでいるそうだ。
3月28日には十和田から掘り進んできた除雪隊と青森から掘り進んでいく除雪隊が、山中で貫通式を行う。
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雪に埋まった道路のありかに小枝を挿して印を付けていく。
印付け作業を支援する湿地ブル。
まず、道路線上を湿地ブルで踏み固めていく。削り取られた雪の壁を安定させるために必要だそうだ。
湿地ブルで掘り下げていく。
ロータリー除雪車と湿地ブル。
ロータリー除雪車の運転席。
あまり遠くに飛ばさないようにしているそうだ。
開通直前に雪壁を数十センチ削って整形するそうだ。
除雪が終わった区間。
<八甲田除雪隊> 青森県青森市八甲田・十和田ゴールドライン 2008年 3月 28日撮影
青森県の八甲田山系と十和田湖を結ぶ「八甲田・十和田ゴールドライン」(国道103号)の冬季閉鎖区間(約8キロ)が貫通した。
3月初めからの除雪作業が28日終了、青森市と十和田市の接点である傘松峠で貫通式が行われた。
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除雪隊を励まして50年以上歌い継がれている「八甲田除雪隊の歌」と「檄文」。
今年の雪の回廊は例年と較べて1〜2m低いそうだが、5〜6m以上の白い雪の壁が続く。
青森市と十和田市から掘り進めてきた2つの除雪隊が最後の雪壁を除雪する。
青森、十和田の除雪隊が歩いて貫通点を渡り、知事に貫通の報告をする。
たくさんの報道カメラがやってきた。
ロータリー式除雪車。
八甲田除雪隊の歌
 1 春の息吹に萌えろよ緑 別れ惜しむな妙見に
   横内の里あとにして 今ぞ眺まん八甲田
 2 雲谷より眺むる青森湾に 汽笛もかすむ連絡船
   岩木に無事を祈りつつ  雪降りやまぬ展望台
 3 茅野の空に月影寒く 明日は難所の七曲り
   丈余の雪も何のその 今こそ腕の見せどころ
 4 春の吹雪に行く手阻まれ 凍てつく機械いたわりつ
   寒水沢から城ヶ倉 悪戦苦闘の除雪隊
 5 仙人ゆかりの女中坂だよ 友よあれが酸ヶ湯沢
   明日への英気を湯煙に 星空高き 地獄沼
 6 大岳 石倉朝日に映えて 睡蓮沼のその先は
   雪、雪、雪の魔の峠  負けてなるかと雪男
 7 南部平野を眼下におろし 猿倉見えれば一息と
   油にまみれた顔と顔 雪焼け面の吾が友よ
 8 百戦錬磨のつわものどもが 熱と意気と誇り持ち
   十和田の春を呼び起こす ああ、八甲田除雪隊
   ああ、八甲田除雪隊
<コウナゴ浜茹で> 青森県今別町奥平部 2008年 5月 19日撮影
「コウナゴですか?」と車を停めて話しかけると、「そうだよ〜、いま、茹でるのであったかいところを食べさせてあげるよ〜」と返ってきた。
ご夫婦で、捕ってきたばかりのコウナゴを選別して大釜で茹でるところだった。
帰りに袋一杯の乾燥したコウナゴをいただいた。
まっ暗い道ばたで、明かりが点いてウミネコが舞い降りていたので、好奇心がくすぐられた通りすがりの私を快く迎えてくださった。
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小さいものの方が商品価値が高いそうだが、大きくても味は良い。
大きな鍋で茹でる。
数分で茹で上がる。温かいものは旨い。
乾燥させた完成品。
茹で上がったコウナゴは木箱に移して乾燥させるそうだ。
<フキ茹で> 青森県外ヶ浜町三厩藤嶋 2008年 6月 8日撮影
龍飛岬に至る国道339号線の旧三厩村藤嶋にフジの巨木を見に行った。
200年以上前に沖合い100mに浮かぶ藤島からフジを持ち帰って植えたとされるフジが太くなっている。
旧三厩村では文化財第一号に指定していたそうだ。
フジの巨木の横を流れる藤島川で、茹でたフキの皮をむく人たちがいた。
昔は電池(=懐中電灯)を点けて暗いときに出かけたが、今は車で奥まで入れるので明るくなってからフキを採りに行くそうだ。
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ドラム缶を半分埋めた形の釜の横でフキの皮をむいていました。
沢の流れを活かして湯がいたフキを冷水にさらしていました。
冷水にさらされるフキと釜。
フジの巨木。
フジの巨木。
<迎え火・送り火> 青森県弘前市小沢 2008年 8月 16日撮影
お盆の風習に迎え火と送り火がある。
弘前の小沢地区では、お盆の期間は毎日、家々の門口で火を焚いている。
一般的なお盆の期間は8月13日から16日であるが、13日から20日までの毎夕刻に火を焚いているそうだ。
門口で実際に火を焚くことが難しくなってきているが、小沢地区では各戸の作法で続けられている。
弘前の市街地でも商店の軒先や歩道で火を焚く情景が散見され、思いがあれば場所や仕草にこだわらないものだと感じた。
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午後7時頃。故人を偲んで火を見守る。
静かな盂蘭盆の行い。
<漁村風景> 青森県今別町、外ヶ浜町 2008年 9月 27日、28日撮影
国道280号は津軽半島の東海岸を走り抜けて青森市と今別町を結ぶ。
しかし、青森市から今別町を経由して龍飛岬に行く場合、外ヶ浜町の蟹田で280号を離れ山間を走るルートを行く場合が多い。
そのため、外ヶ浜町平舘や今別町東部の大泊、袰月、砂ヶ森、奥平部を貫く国道280号は静かなドライブを楽しめる。
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今別町東部の漁村。
外ヶ浜町平舘石崎の漁村。
海岸に沿って走る国道280号。
漁村の家屋。
岩屋観音。
<青荷温泉> 青森県黒石市沖浦青荷澤滝ノ上 2008年 10月 18日撮影
ランプの宿として有名な青荷温泉に行ってみた。
秘湯中の秘湯というイメージから、薄暗く野趣溢れる空間を想像していたが、管理が行き届いた空間にホッとした。
人に向けなければ撮ってもよいということだったで、空いた時間に急いで写真を撮りました。
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国道102号から青荷温泉への道沿いにはたくさんのメッセージが立っている。 → 意味の試み ^^;  (写真をクリックしても大きくなりません)
眼下に青荷が見える。
ちょうど紅葉が青荷温泉まで降りてきていた。
よぐきたねし。
温泉の帳場。
ランプの宿。
ランプの管理。
露天風呂。
子宝の湯は樽。
滝見の湯。竜神の湯に替わって平成17年に出来たそうだ。
健六の湯。
 ■青森県写真集■
<りんご樹> 青森県鶴田町 2008年 11月 23日撮影
青森では19日にドカ雪が降った。
雪が積もった津軽平野を走っていて、りんご樹が折れている光景に出くわした。
雪の中、りんごを収穫している姿もあった。

  
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折れた断面が痛々しい。
雪の重みで枝を落としたのであろう。
重い雲の下でりんごを収穫する姿を見留めた。
雪の上、脚立を立てて収穫していた。
一瞬、陽が差した。
手際よくりんごがもがれて行く。
<妙丹柿の里:南部町> 青森県南部町鳥舌内 2008年 11月 24日撮影
柿は日本原産で青森が北限だそうだ。
昨年に続いて南部町の長舌内(ちょうしたない)に妙丹柿を見に行ってきた。
干し柿のスダレを期待していたが、ほとんど見られなかった。
農家の人に聞くと採算が合わないので収穫しないのだそうだ。
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名久井岳の懐。
妙丹柿は背が高い。
赤い屋根と白壁。
干し柿。
蕎麦の畑。
<津軽金山焼> 青森県五所川原市 2008年 12月 20日撮影
津軽平野の東縁は中山山脈の麓に沿ってため池が連なっている。
津軽金山焼は、このため池の一つ金山大溜池の底の粘土を使っている。
500人の陶工が500年間使えるほどの陶土と津軽地方の赤松の薪を使った、完全自給自足の窯場だそうだ。
世界各地の陶芸家に交流の場を提供しており、2002年から毎年「青森世界薪窯大会」が開催されている。
色んな窯が運用されていて、世界各地の陶芸家の新しい窯に関するアイデアの実証も行われているそうだ。
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鄙びた風合いの焼き物。
登り窯。
窯の中。
1300度で焼く。
手ひねりの陶芸教室。
先生の話を聞いた後、粘土に集中する。
<吹雪く年末> 青森県青森市古川 2008年 12月 27日撮影
青森の古い面影を残す古川には、30年来注連縄を売っているというおばさんたちがいる。
アーケードの下でも吹雪くと店は雪まみれになる。
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練炭を入れたりんご箱に毛布をかぶせて暖をとりながら正月飾りを商う。
にこにこ通りのアーケードの下、売っているのはおばさんばかりだ。
りんご店も年末の追い込みだ。
りんごには適度な冷蔵になるのかな。
<雪の日・青森市内> 青森県青森市 2009年 1月 25日撮影
天気予報では雪となっていたが、万が一朝日が見られるかもしれないと思い、早起きして市内を彷徨った。
予報どおり大きな軽い雪がシンシンと降り続いていた。
風がなかったので、市内の木の枝は雪化粧して美しかった。
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いつも渡る踏切は北海道への貨物線だ。
青森港。
浜町埠頭は雪捨て場だ。
大きな軽い雪が降り積もる。
茶屋町公園のメタセコイヤ。
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