■青森県写真集■
青森県青森市近郊の 『里地 』 の写真を集めたページです。
2006年、2007年、2008年の3年間に撮影しました。
<白鳥> 青森県青森市六枚橋川 2006年 11月 25日撮影
青森市から蓬田村に向かう途中の六枚橋川付近の田んぼに白鳥たちが休んでいた。
青森では、彼方此方の田んぼで白鳥と会うことができる。
国道を車で走っている時、白鳥の編隊飛行に追い越された。時速70km以上で飛んでいるんだと実感した。
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太陽が昇ると、鳴き交わして、飛び立つ白鳥がいた。
高く遠く飛ぶ。
田んぼでくつろぐ白鳥。
<夜明け頃> 青森県青森市六枚橋川 2006年 11月 26日撮影
昨日と同じ田んぼで白鳥を撮ろうと思って出かけたが、白鳥の姿はなかった。
空には雲一つない快晴、山際の色の変化が美しい。
地面近くの大気の動きが面白い景色を作っていた。
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野辺地の烏帽子岳の向こうが輝き始めた。無風で冷え込む田んぼは一面の霜。
山際の色はとどまらない。
人家の辺りは炊事の煙か。
低くたなびく煙。
<青龍寺、昭和大仏> 青森県青森市 2006年 12月 3日撮影
青森市郊外に青龍寺がある。雪の中、昭和大仏さまが静かに座っておられた。
昭和大仏は、昭和59年に造立された大日如来像。青銅座像としては日本一の21.35メートル。
ヒバ造りの伽藍の色と青銅の色とが白い雪の中で冴えていた。
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青森市の環状道路を東に行くと、山際に五重塔が見える。
伽藍を構成する材の色が雪に冴えていた。
思いがけず清廉な大仏様だった。
雪の中に瞑想する大日如来。未年の守護神だとか。
雪が激しく降る。
青森市は一晩で29cmの積雪。
<コブシのある風景> 青森県青森市 2007年 4月 30日、 5月 1日、 5月 3日 撮影
青森市周辺でコブシのある風景を楽しんだ。北国の春。
浪岡町、月見野、矢田、諏訪沢、野内の里を彷徨した。
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独立樹のコブシは珍しいほうだ。浪岡。
なかなか大きなコブシの樹。浪岡。
爽やかに咲くコブシ。月見野。
暗い林の樹冠に白くコブシが際だつ。矢田。
宅地で春を謳歌するコブシ。矢田。諏訪沢。
里の丘。野内。
山桜とコブシが色を添える。矢田。
コブシの輝きはひときわ目立つ。矢田。
山桜の優しいピンク。諏訪沢。
ヤマザクラとコブシ。諏訪沢。
<草木> 青森県青森市月見野 2007年 5月 1日撮影
青森市郊外の月見野を散策した。
またしても、カタクリの群落に出会ってしまった。
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オオバクロモジ。
カタクリの群落。
花の撮影に専念。
優しい色に撮ってみた。
ヤマザクラ。
ヒメオドリコソウ。
コブシ。
<キジ> 青森市 2007年 6月 26日撮影
青森市の住宅地戸山団地の近くで、早朝キジが鳴いているというので行ってみました。
鳴き声がしたほうに歩いていくと4mほど先でこちらを見ているキジに出会いました。
ネットで調べてみると、キジは日本の国鳥で、狩猟の対象だとありました。
鳴き声を「ケーン!ケーン!」と表記していますが「キーッ!キーッ!」というふうに聞こえました。
「キジも鳴かずば撃たれまい」の民話を実感しました。
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至近距離に居るのに突然気づきました。
羽根をばたつかせて「ケーンケーン」と鳴きました。
地面をついばみはじめると右や左に足早に去っていきました。
<県立美術館・三内丸山遺跡> 青森県青森市 2007年 8月 6日撮影
青森県立美術館の企画展「旅順博物館展」を見に行ってきた。
日本のどこの美術館でもそうだが、館内の展示物の撮影は禁止されているので、建物の外観の写真になった。
青森県立美術館は三内丸山の縄文遺跡に隣接しているので、遺跡と併せて文化・学術的雰囲気に浸ることができる。
三内丸山遺跡は見学無料。   →雪の三内丸山遺跡
■美術館繁盛の秘策考察■
■「常設展」という名称を使わない。 展示内容をアピールする名称を使う。
美術館や博物館は常設展に加えて企画展を開催して集客に取り組んでいる。そのため、「常設展」と言われると、企画展の間を埋めるそれほど面白くない場つなぎの展示という印象を与える。青森県立美術館の「常設展」は大変面白い。棟方志功はもちろんのこと、澤田教一の戦場写真の一連のべた焼き、奈良美智の掘っ建て小屋的空間、今和次郎のインターネット的考現学など何度見ても面白い。
■携帯カメラなど写真撮影を自由にさせる。
現代のインターネット社会を考えると、この様な面白い展示の写真撮影を自由に許可すると、おそらくブログなどウェブ上で紹介する書き込みが氾濫し、来場者が激増すること必定にちがいない。
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美術館は建物とその存在がアートだ。
白い建物。
遺跡への入り口「縄文時遊館」。三内丸山遺跡。
復元された住居。
青森県立美術館
芸術家、版画家、戦場カメラマン、怪獣・宇宙人デザイン、考現学、文芸家。
棟方志功。澤田教一。奈良美智。寺山修司。今和次郎。今純三。恩地孝四郎。関野凖一郎。木志朗。成田亨。斎藤真一。渡辺貞一、名久井由蔵 。石ヶ森恒蔵。
三内丸山縄文美術。バレエ「アレコ」のシャガール背景画。
三内丸山遺跡
日本最大級の縄文集落跡で、直径1mのクリの木6本を使った大型の掘立柱建物跡が有名。
今から約5500年前〜4000年前の縄文時代の集落跡。
平成4年から発掘調査が行われ、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子どもの墓、盛土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが見つかっている。
出土品としては、縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石など。
ヒョウタン、ゴボウ、マメなどの栽培植物が出土し、DNA分析によりクリの栽培が明らかになった。
平成12年11月に国特別史跡に指定された。
<防雪柵> 青森県青森市 2007年 11月 22日撮影
青森市と今別町の間の国道280号線を走った。
雪が降り続く中、防雪柵の設営作業が行われていた。
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手慣れた作業員の動きが逞しい。
防雪柵が設営されていない路面は白い。
右の写真は防雪柵(吹き払い柵)による風のコントロールによって、雪が吹き飛ばされ路面が黒く見えている。
<餅つき> 青森県青森市 2007年 12月 23日撮影
臼と杵で餅つきをした。
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餅米を蒸して杵でつく。
餅米の蒸し器の面白い表情。
蒸した餅米を臼の中でコネコネする。つきたての餅にみんなの手が伸びる。
干し餅用の木枠に入れる。つきたての餅、赤ちゃんを運ぶような手つき。丸め方にも熟練の差が出る。
男も女も餅つき体験。
<雪の上磯> 青森県青森市 2008年 1月 13日撮影
津軽半島の東側の地域を「上磯」と呼ぶ。
断続的に雪が降る上磯を点描した。
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羽州街道の終点、松前街道の起点となる地の碑。西田酒造店。
西田酒造店の前は「こみせ」になっている。
陸奥湾に流れ込む小さな川にはハクチョウが居る。
後潟漁港。
<雪の三内丸山遺跡> 青森県青森市 2008年 1月 20日撮影
断続的に雪が降る中、三内丸山遺跡を訪ねた。  →夏の県立美術館・三内丸山遺跡
三内丸山遺跡
日本最大級の縄文集落跡で、直径1mのクリの木6本を使った大型の掘立柱建物跡が有名。
今から約5500年前〜4000年前の縄文時代の集落跡。
平成4年から発掘調査が行われ、竪穴住居跡、大型竪穴住居跡、大人の墓、子どもの墓、盛土、掘立柱建物跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴、粘土採掘坑、捨て場、道路跡などが見つかっている。
出土品としては、縄文土器、石器、土偶、土・石の装身具、木器(掘り棒、袋状編み物、編布、漆器など)、骨角器、他の地域から運ばれたヒスイや黒曜石など。
ヒョウタン、ゴボウ、マメなどの栽培植物が出土し、DNA分析によりクリの栽培が明らかになった。
平成12年11月に国特別史跡に指定された。
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縄文時遊館。
三内丸山遺跡へ。
雪の中、ボランティアガイドの説明がある。
雪は静寂をもたらす。
復元された竪穴式家屋に雪のベール。
大型の構築物。
柔らかな曲線。
雪に煙る高床式倉庫。
<夜の青森県立美術館> 青森県青森市安田字近野 2008年 2月 22日撮影
夜、県立美術館の前を通ったところ、青い色がきれいだったので写真を撮った。
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青森県立美術館は青が似合う。
美術館へのエントランス。
<桜のトンネル> 青森県青森市月見野 2008年 4月 26日撮影
月見野霊園へ至る道路も桜のトンネルになっている。
縦断勾配が緩やかに変化しているため、桜の天井感が際立つ場所だ。
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合浦公園や桜川の桜が散り始めるころ、月見野の桜が見頃となる。
交通量が少ないため記念撮影もできる。月見野霊園の背後の山は春もみじ。
月見野霊園の桜並木に並行して白樺が植えられている。
<国際芸術センター青森> 青森県青森市 2008年 4月 27日撮影
青森公立大学の隣に国際芸術センター青森がある。
森の中にゆったりと存在する施設は心地よい。
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バス停横の弓形広場から四季のアーケードを歩む。
四季のアーケード。
円形の展示棟。
センターは森の中にある。キブシの花が咲いていた。
オオバクロモジ。
ミツバアケビ。
エンレイソウ。
森の中のオブジェ?
<三内丸山遺跡> 青森県青森市 2008年 5月 19日撮影
タンポポの綿毛がいっぱいの三内丸山縄文遺跡を訪ねた。
想像で復元された建物を風景として眺めてきた。
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大型掘立柱建物。
大型掘立柱建物と大型竪穴住居。
竪穴住居。
掘立柱建物。
<王余魚沢小学校> 青森県青森市浪岡 王余魚沢 2008年 6月 1日撮影
王余魚沢と書いて「かれいざわ」と読む。
青森市街から青森空港を過ぎ、分水嶺を津軽平野側に降りるところに王余魚沢の山里がある。
2006年3月に閉校となった王余魚沢小学校の校舎・校庭と周辺農地を活用しようとNPOが動き出した。
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県道27号線から急な階段を上ると王余魚沢小学校。
山間の斜面に生み出された校庭。
雪囲いのままの学舎。
山間に立つ学舎。
山の中のプール。
ハルジオン。ツルアジサイ。
フジ。ミズキ。
タンポポ。
2008年5月15日 毎日新聞地方版の記事
学舎訪ねて:旧青森市立王余魚沢小 廃校に息吹、取り戻せ /青森
◇市から借り受け、フェアやイベント…NPO、新たな試み
 小中学校の統廃合が相次ぎ、廃校となった校舎の活用方法が課題となっているなか、青森市内のNPOが新たな試みを始めた。04年4月に休校、06年3月に閉校となった青森市浪岡王余魚沢(かれいざわ)の旧市立王余魚沢小学校を市から借り受け、夏休み子どもフェアや音楽イベントなどに生かす取り組みだ。廃校状況を調べている県教育庁学校施設課は「NPOが活用するのは県内では珍しい」といい、子供たちの歓声が消えた校舎に息吹を取り戻す一つのモデルとして注目されそうだ。【後藤豪】
◇思い出残り、地元も歓迎
 「王余魚沢小学校閉校のしおり」によると、同小は1895年10月に浪岡尋常高等小学校王余魚沢分教場として発足。1948年3月に浪岡町立王余魚沢小として独立し、59年4月には児童数が89人にまで達した。しかし徐々に減り、2004年の休校時には4人だけだった。
 校舎は廃校後の06年8月から青森市浪岡事務所の普通財産となったが活用方法はなく、市は早ければ09年度に解体しようと地元町内会から既に了承を得ていた。ところが今年3月下旬、青森市のNPO法人「あおもりNPOサポートセンター」から廃校活用の提案があり、市が「貸さない理由はない。ずっと活動を展開してほしい」と快諾した。
 同センターは青森、弘前両市のどちらからも人を呼べる地の利に着目し、新たな地域コミュニティーをつくる拠点にしようと考えている。
 プロジェクト期間は今年5月1日〜来年1月末の9カ月間で、賃貸料は約4万円。インストラクターを同行して子どもに木登りを体験させたり、夏祭りでバーベキューやカラオケパーティーを開くことなどを考えているが、具体的な計画は地域住民と話し合って決める。
 世帯数67、人口176人(今年3月末現在)の小さな集落からは、歓迎の声が上がっている。旧校舎近くに住むリンゴ農家の男性(71)は「壊されたら寂しくなっちゃう。『使う』と手を挙げてくれる人がいれば歓迎だ」と喜んでいた。
 同センターの小山内誠・副理事長(60)は「学校は地域の人たちとともにあるもの。廃校だったらこんな使い方があるというのを示していきたい」と意気込んでいる。
 閉校後、一度も使われることのなかった学校が生まれ変わろうとしている。
  ◇   ◇
 なくなってもいつまでも心の中で生き続ける母校。県内で廃校になった学舎(まなびや)のいまを随時、リポートします。
毎日新聞 2008年5月15日 地方版
<斧懸神社・神楽の舞い> 青森県青森市戸山 2008年 6月 11日撮影
6月9日善知鳥神社を皮切りに青森の宵宮シーズンが始まった。
爆裂音で告知することを目的とした打ち上げ花火が午後の空気を震わせ、「今日は何処?」という会話を惹起する。
11日は、坂上田村麿が草創したとされることから1200年以上の歴史がある斧懸神社(おのがけじんじゃ)の宵宮だった。
境内にある「斧懸の松」に、きこりたちが、斧の形をした枝を投げ懸けて木の切り出しの可否を占ったそうだ。
菅江真澄は「花の木を くだすもうしと山賤の とらでやしばし 斧懸の松」と詠んだ。
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斧懸神社宵宮。神楽の舞が始まっていた。
「神入の舞(かみいりのまい)」:面をつけずに舞う。東西南北・中央・天と地を清め、すがすがしい場所に斧懸神社の大山祗神(おおやまつみのかみ)の大神(おおみかみ)をお迎えする舞いだという。
拝殿のまわりから人々が見守る。
「磯浪の舞(いそらのまい)」。こわそうな、黒っぽい海の神さまの面をつけて舞う。ホオリノミコトが、兄のホデリノミコトから釣り針を借りて、釣りをしているうちに見えなくしてしまい、代わりの新しい釣り針をたくさん作ってゆるしてもらおうとしたが、ゆるしてもらえず海辺で困っていたとき、海の神さまが海中の藻の中から見つけ出してくれたり、龍宮城へ案内してくれたり、宝ものをもらったりした舞いだという。
「宝剣の舞(ほうけんのまい)」:恐ろしい天狗の面をつけて舞う。天照大神から、日本を治めるよう命ぜられたニニギノミコトが天から降るとき、サルタヒコノミコトが護衛している舞い。妨害するものがいないか、とても切れそうな剣を手に持ち、上下・前後・左右を、恐ろしい顔つきでにらみつけながら案内したのだそうです。
ささやかに露店が店開きしていた。
日が没した境内。
夕闇。
<青森の稲田> 青森県青森市夏井田 2008年 9月 28日 撮影
青森市近郊の田んぼでも稲刈りが始まっていた。
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刈り取りを待つ稲田。
刈り取りを待つ稲穂。
刈り取られた稲。「島立て」と呼ばれる乾燥方法。
畦に茄子とススキのオブジェ。
<稲干し・青森市桑原> 青森県青森市桑原 2008年 10月 2日撮影
青森市街地のすぐそばでも、刈り取った稲を干す姿が見られる。
市街地の東側に隣接する桑原地区では、青龍寺の五重塔や昭和大仏に見守られて、稲干しや脱穀する姿が見られた。
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架掛け(はさがけ)。棒掛け(ぼうがけ)。青森市桑原の田んぼからは岩木山が見える。
島立て(しまだて)の一種。青龍寺の五重塔が見えている。
棒掛け(ぼうがけ)。津軽地方では定番の稲干しスタイル。
昭和大仏さんが見下ろしていた。
<稲干し・青森市矢田> 青森県青森市矢田 2008年 10月 3日撮影
青森市の東部にそびえる東岳の麓でも秋の収穫が行われていた。
ここでの稲干しは棒掛け(ぼうがけ)だった。
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東岳の麓の田んぼ。
棒掛け。
棒の頂部が稲穂にくるまれて、動物の群れのように見える棒掛け。
棒掛けと架掛け(はさがけ)。
<ハクチョウ・青森市> 青森県青森市夏井田 2008年 11月 15日撮影
青森市郊外の田んぼでハクチョウが飛び交っている。
南への渡りの途中の羽ね休めのように見えるが、盛んに田面をついばんでいた。
冬に向かう季節だが意外に暖かかったので、夜明けの農道に腰掛けて白鳥たちの様子を見守った。
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夜明けとともに飛来する群れ。
田んぼで目覚めた群れからも飛び立つ。
農作業に向かう軽トラと自転車。
北八甲田山の大岳、井戸岳、赤倉岳に雲が流れる。
<雪雲の虹> 青森県 2009年 2月 14日撮影
前日まで雪ではなく雨が降り続いて雪解けが進んでいた。
寒冷前線の通過で雨から雪に変わる端境で、低い虹が見られた。
青森市から蓬田村、外ヶ浜町と北上していく間、断続的に虹が見えていた。
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青森市と蓬田村の境あたりで田圃に虹が架かった。
雨で雪解けが進んでいた(翌日から大雪になった)。津軽半島と下北半島をつなぐ虹。
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