<フクジュソウ、キリストの墓> 青森県新郷村 2007年 3月 3日撮影
神秘の新郷村に春を探しに行ってきました。
八戸市から国道454号線を西に、五戸町を抜けて新郷村に入る。さらに西に行くと十和田湖に至るが、冬季は閉鎖され、除雪されているのは道の駅「しんごう」まで。その道の駅「しんごう」でさえ冬季は雪に閉ざされている。
なぞの「キリストの墓」、「ピラミッド」や「ドラキュラアイス」を確かめてきた。
途中、フクジュソウが咲き、春の訪れも感じられました。
☆写真をクリックすると大きな写真が見られます☆
キリストの墓の説明書きは「ゴルゴダの丘で磔刑に処されたのは弟のイスキリであり、キリスト本人は日本に渡り、ここ新郷で106才の天寿を全うした」と記しています。
向こうの十字架が弟イスキリの墓「十代墓」、手前がキリストの墓「十来塚」。
大石神ピラミッド。
たんぼのワラ。
フクジュソウ。
ドラキュラアイス。
■降って湧いたキリストの墓伝説■
昭和10年、戸来村(へらいむら:現在の新郷村)の小高い竹やぶの中で土まんじゅうを発見し、キリストの墓「十来塚」と弟イスキリの墓「十代墓」ということになった。
この発見は、当時の佐々木伝次郎村長が、日本画家で古代史研究家の鳥谷幡山氏(とやばんざん)らを案内して村おこしの一環で実現した模様。
昭和11年、茨城県磯原町の武内巨麿氏(たけうちきよまろ:武内宿禰(たけのうちすくね)66代目の子孫にあたる皇祖皇太神宮。天津教。)の所蔵する文庫の中からキリストの遺言が発見され、裏付けられることになる。
この遺言によると、垂任天皇の時代、21歳のイエス・キリストは日本で約10年間修行し、ユダヤへ帰るが、まもなく迫害され磔(はりつけ)になったとされるが、実際に処刑されたのは弟のイスキリで、イエスは弟の遺髪を持ってシベリアへ逃れ、最終的に日本の八戸港へ上陸して戸来村に住みついて、十来太郎大天狗と称し、日本女性ミユ子を妻とし、三女をもうけ、106歳でなくなったということになっている。

降って湧いた説「湧説」と言う人もいるとか。
昭和38年から、6月第一日曜日にキリスト祭を観光協会が開催している。
■ナニャドヤラ■
青森県南部から岩手県北部に伝わる「ナニャドヤラ」の唄に合わせて踊る風習がある。
日本最古の盆踊りと自負する。
ネットで拾った唄詞の表記。
「ナニャドヤラ ナニャドナサレノー」
「ナニャドヤラー ナニャドナサレノ ナニャドヤラー」
「ナニャードヤレー ナニャドナサレデア ナニャドヤラヨー」
○唄詞の意味
・民俗学者の柳田國男は、「なんなりとおやりなさい」「なんなりとなされませんか」「どうなりともなさるがよい」と、女が男に向かってと呼びかける恋唄と解した。つまり、「今日は楽しい祭りの日です。若者達よ、もっと勇気を出して自分の心を示しなさい。元気を出しなさい」と若者を鼓舞している歌であるという説。
・言語学者の金田一京助は、「なせばなる、なさねばならぬ何事も」という道歌が地元方言でなまったものとして、笠宮殿下のご下問に答えたとのこと。
・長慶天皇(足利尊氏に吉野から追われ、名久井岳の長谷寺に隠棲)が梵語で作った唄との説。「長谷嶺居野宰叡(長谷よりほかに住む都がない)」という意味。味方に無事を知らせる内容をであるとの説。
・新郷村村史に長慶上皇の崩御に際しての弔い歌であると記載されている。
 奈任耶阿堵野羅世(なにゃあどやらよ) 
 奈任耶阿堵長谷嶺居野宰叡(なにゃあどなされいのさえ)
 奈任耶阿堵野羅世(なにゃあどやらよ)
・川守田英二(1891〜1960、岩手県一戸市出身)は、ヘブライ語で解釈。「お前の聖名をほめ讃えん お前の毛人を掃蕩して お前に聖名をほめ讃えん」、「聖前に主を讃えよ、聖前に主は逆賊を掃討したまえり 聖前に主を讃えよ」、「神のもとに、自分の軍は敵をやっつけたのだ。自分たちの大将を誉め称えよう」という意味の行進曲との説。
・一遍和尚が「ナムアミダブツ」を普及して歩き、念仏踊りとなって東北に伝わったとき「ナムアミダブツ」が「ナニャドヤラ」と変化したとする説。
・北村益(八戸町長)は、五・七・五で、俳句の元祖みたいなもので、もっとも短い短詩形の歌であるとの説。
○他の地方の人には「ニャンニャン」としか聞こえないため、「南部の猫唄」と呼ばれたりもする。
− 前のページへはブラウザの「戻る」ボタンで戻ってください −
− 青森県写真集 −