<流鏑馬競技会> 青森県十和田市中央公園緑地 2006年 10月14日撮影
十和田市は、明治18年に帝国陸軍軍馬局出張所(明治29年軍馬補充部三本木支部)が設置され、以後60年間日本最大の軍馬の補給地となりました。
この軍馬補充部の存在が南部地方の経済や文化に与えた影響は大きく、今も馬に関わる行事が盛んです。
「流鏑馬」は古くから日本各地で行われていますが、「駒フェスタ in 十和田」で行われた流鏑馬は競技としてルールを考案されたものだそうです。競技ではありますが、日本文化としてのこだわりがあり、馬は和種または和種系であること、馬装は和式、騎手も和装を楽しんでいるようです。そのため、華やかな装束を観客は楽しめました。
神事や武芸として行われる流鏑馬が女人禁制が基本であるのとは対照的に、競技流鏑馬は女性の騎手が多いようです。
若い男性の颯爽とした射姿と年輩の男性の渋い騎乗姿も良かったです。
200mの馬場で3つの的を射る。
当たった的では赤い傘を開いて的中を知らせます。
200m中150mで走り抜ける時間を計測し順位の要素にします。決勝の記録によると6秒から13秒で走り抜けます。
最年少の騎手。3的中の傘。
集中と解放と。
射終わって矢を受け取りながら引き上げます。
和装が大変美しい。
和式へのこだわり。
射終わって馬溜まりで放心状態のよう。
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