■青森県写真集■
青森県の 『 祭 、 まつり 』 を集めたページです。「ねぶた」と「ねぷた」は別ページです。
2006年、2007年、2008年の3年間に撮影しました。
<打ち上げ花火> 青森県青森市浅虫温泉 2006年 8月 1日撮影
青森市の東に浅虫温泉があります。8月2日から始まる青森ねぶた祭の前夜祭として打ち上げ花火が盛大に行われました。
海の上で打ち上げられるので、国道4号線沿いのどこからでもよく見えました。
浅虫海岸に近づくにつれ、花火大会に急ぐ浴衣姿の若者たちの数が増えていきました。海岸の堤防の上は寒いぐらいで、大きなバスタオルを浴衣の上に羽織る人たちが、大きな空間に開く花火を眺めていました。
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日没後半時間ほどの空に花火が打ち上げられます。湯の島の手前の海上から花火が上がりました。
どこに大輪が開くのかなぁ。広い夜空にぽっかりと花が咲きました。
ねらいを定めて縦位置で撮ってみました。
光の強い花火を撮るのは難しいですね。
   <黒石よされ> 青森県黒石市 2006年 8月15日撮影
■黒石市の「よされ踊り」を見てきました。

■流し踊る道は昔のままの「こみせ」といわれる木造のアーケードがあり、踊り手がかぶる「トコマンポ」と呼ばれる編み笠や浴衣が映えていました。
■黒石よされのかけ声は「エッチャホー、エッチャホー」。
■「流し踊り」が基本形のようですが、たびたび流し踊りが中断され、その場で輪になって踊りはじめる「まわり踊り」は周囲の人も参加しての楽しい踊りでした。
■天明(1780年代)の家老境形右衛門が城下町に人を呼んで商工を活気づけようとしたことから盛んになったといわれるように、楽しみの少なかった時代の盆踊りらしい心あたたかなお祭り騒ぎでした。
■黒石よされは「日本三大流し踊り」の一つだそうです。他の二つは「阿波おどり」と「郡上踊り」。
こみせ通りが風情があります。
「夜目、遠目、笠の内」皆さん美しい! 流し踊りは整然と進みます。
まわり踊りでは若者達の掛け合いが。更けていく夜目に提灯が浮かび上がります。
狭い道いっぱいに踊りの輪ができます。小さい写真の上にマウスポインタを置くと写真が変わります。
 
”こみせ”にはカラフルな提灯が下げられていました。こみせの縁に腰掛けた観客も自然と体が動いています。
■こみせ 小見世
 黒石市中町のこみせ通りは「日本の道百選」に選ばれ、伝統的建造物とアーケードが藩政時代そのままの形で残っています。
 こみせと呼ばれるアーケードの特徴は、通りに面した家が自分たちの敷地内にアーケードを作ることにより、道路の幅を維持したまま、買い物客が雪や陽射しで難儀しないようにした人情溢れる造りになっていることです。
 こみせは人がちょうどすれ違える程度の幅でこぢんまりとしています。
 沿道には国指定重要文化財の「高橋家住宅」や造り酒屋などが並んでいます。「玉垂」を造る酒造店「中村亀吉」さんは日本一大きな酒林(杉玉)が掛けられています。もう一軒の酒屋さんは「菊乃井」を造る鳴海醸造店。どちらも酒造りを見学させてもらえる上、試飲もさせてくれます。
   <田名部まつり> 青森県むつ市 2006年 8月19日撮影
■「田名部まつり」を見るため、むつ市に行ってきました。
■残念ながら霧雨の中で、19日は巡行はないということでした。

■“田名部まつり”は 下北半島むつ市の田名部神社の例大祭で、毎年8月18日〜20日に開催されています。
■5台の山車が市内に繰り出され、お囃子と山車の飾り付けは京都祇園祭の流れを汲むとされ、日中は「静」、夜は提灯を灯して「動」の対照を見せる。
■江戸時代に信濃国から東北、蝦夷地を旅した菅江真澄が記した旅日記の寛政5年(1793)の頁に記録されている。
■”田名部まつり”に合わせて盆踊り「おしまこ流し踊り」が開催されます。
翩翻と幟がひるがえる田名部神社の境内には屋台。子供達も祭り装束です。
先山:稲荷山(いなりやま) 横迎町 豪川(ごうせん)組 御神体は稲荷神、白狐一対。
後山:香爐峯(こうろほう) 新町 新盛(しんせい)組 御神体は清少納言。
山車の飾りは優雅で雅。
二番山:猩々山(しょうじょうやま) 小川町 義勇(ぎゆう)組 御神体は猩猩神。
三番山:大黒山(だいこくやま) 柳町 共進(きょうしん)組 御神体は大黒天。
商店街を獅子舞が歩いていました。
お店を回ってご祝儀を戴き、御祓いをして回っているようでした。
<流鏑馬競技会> 青森県十和田市中央公園緑地 2006年 10月14日撮影
十和田市は、明治18年に帝国陸軍軍馬局出張所(明治29年軍馬補充部三本木支部)が設置され、以後60年間日本最大の軍馬の補給地となりました。
この軍馬補充部の存在が南部地方の経済や文化に与えた影響は大きく、今も馬に関わる行事が盛んです。
「流鏑馬」は古くから日本各地で行われていますが、「駒フェスタ in 十和田」で行われた流鏑馬は競技としてルールを考案されたものだそうです。競技ではありますが、日本文化としてのこだわりがあり、馬は和種または和種系であること、馬装は和式、騎手も和装を楽しんでいるようです。そのため、華やかな装束を観客は楽しめました。
神事や武芸として行われる流鏑馬が女人禁制が基本であるのとは対照的に、競技流鏑馬は女性の騎手が多いようです。
若い男性の颯爽とした射姿と年輩の男性の渋い騎乗姿も良かったです。
200mの馬場で3つの的を射る。
当たった的では赤い傘を開いて的中を知らせます。
200m中150mで走り抜ける時間を計測し順位の要素にします。決勝の記録によると6秒から13秒で走り抜けます。
最年少の騎手。3的中の傘。
集中と解放と。
射終わって矢を受け取りながら引き上げます。
和装が大変美しい。
和式へのこだわり。
射終わって馬溜まりで放心状態のよう。
<善知鳥神社> 青森県青森市 2007年 1月 3日撮影
皆さん あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。
青森県で最も初詣の人出が多いと言われている善知鳥神社に行ってみました。今年は1、2日で15万人が参詣したそうです。
善知鳥神社はウトウジンジャと読むそうです。青森市の辺りは昔、善知鳥村と呼ばれていたそうです。
ウトウという鳥は昔は青森の外ヶ浜でも見かけたそうですが、今は北海道天売島にたくさん生息しているそうです。
善知鳥神社の幟と日の丸が目をひく。
参道の提灯の日の丸が目をひく。
<えんぶり> 青森県八戸市 2007年 2月17日撮影
冬の青森で祭りらしい祭り、「えんぶり」を見てきました。
えんぶりは約800年前から続く豊作祈願の芸能。
馬をかたどった大きな烏帽子をかぶった頭を大きく振る独特の舞が有名だが、子供たちが恵比寿や大黒などに扮する祝福芸も楽しい娯楽性の高い芸能だった。

「どうさいえんぶり」は烏帽子の前に房がついており、テンポが速く激しく舞う。
「ながえんぶり」はゆったりと舞い、烏帽子に房はつかず、リーダー「藤九郎」の烏帽子に「ボタン」か「ウツギ」の花が付く。
田をならす農具「えぶり」を持って踊ったことから「えんぶり」、大地に眠る神様を呼び起こすことを「いぶり」と言うことから「えんぶり」。
子供が舞う「えんこえんこ」に、大黒舞、恵比寿舞、松の舞。

毎年2月17日から4日間開催されるが、今年は17日が土曜日に当たっていて見に行きやすい巡り合わせだった。
初日の17日は朝7時から長者山新羅神社に奉納摺りが行われる。
奉納を終えたえんぶり組は、10時から賑やかに市街地の一斉摺り会場に向かう。

昭和54年2月に国の重要無形文化財に指定。
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長者山新羅神社(ちょうじゃさんしんらじんじゃ)「五穀豊饒」「万人安穏」「無病息災」の祈願所に舞を奉納。
神前にうやうやしく。
神前に進まない囃子方は太鼓、手平鉦(てびらがね)、笛で賑やか。
拝殿に近づき太鼓のバチに気合いが入った。
囃子に合わせた子供たちのかわいい声が聞こえてきた。
小さな社にもお参り。
「どうさいえんぶり」の激しい舞。烏帽子の前に付いている房を振り回すように頭を大きく振る。
烏帽子を地面に摺るようにも見えるし、足を摺るようにも見える。えんぶりを「舞う」ことを「摺る」と呼ぶ。
松の舞。子供たちのかわいい仕草。ひょうきんにも見える。
恵比寿舞。最後に鯛を釣り上げる。
翁が進み出て。
ゆったりと舞う「ながえんぶり」。烏帽子には房がついていない。
えんぶりの絵馬が掲げられた拝殿。
鈴とお金をつけた銭太鼓を持って踊る「えんこえんこ」。農作業時の子供の役割は赤ちゃんのお守り。
えんぶり行列。
太鼓は横にいても腹に響く。背負う人はキツイだろう。
えんぶり組が長蛇の列に。
なんだかひょうきん。冬の農閑期の芸能だったのかも。
一斉摺り。
松の舞と大黒舞。市街地道路での一斉摺りの一コマ。
市街地道路での一斉摺り。激しく摺る一方で、南京玉すだれの話芸も。
笛や太鼓。
<虫送り> 青森県五所川原市市浦相内 2007年 6月 9日撮影
田植えが終わった農村ではさなぶりの行事が行われる。
害虫駆除を願って虫送りを行う。
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大きな虫と荒馬踊り。
荒馬と太刀振りと囃子方。
荒馬と太刀振りと囃子方。
各家の門で振舞酒に酔う。
虫を載せた山車。ご祝儀が届けられる。
<久須志神社> 青森県青森市 2007年 7月 7日撮影
青森ではイベントの合図に打ち上げ花火が使われる。
夏の今頃の午後5時には連日花火の炸裂音が聞こえ、宵宮の開幕を告げている。
青森市浪館通りにある久須志神社の宵宮に行ってみた。
神社の前の道路にはたくさんの出店があり、若者達でごった返していた。
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長い列の先には拝殿。境内、歩道からはみ出した人が車道を行く。
子供の頃の夜店の記憶はいつまでも残る。
おばさんが活躍する夜店。
祭りの定番。
薄暗いところでこそ繁盛する食べ物があるような気がする。
皆の想い出。
<恐山イタコ> 青森県むつ市 2007年 7月 21日撮影
下北半島の日本三大霊場の一つ、恐山の夏の大祭に行ってきた。
10のイタコ小屋が並び、口寄せの順番を待つ人の列が終日そこにあった。
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イタコ小屋の前の列。
イタコの口寄せ。
霊場の一角。
<恐山・上山式> 青森県むつ市恐山 2007年 7月 22日撮影
山主である円通寺の住職や信者らが江戸時代の衣装で行列する上山式が行われた。
霊場の手前にある三途の川に架かる太鼓橋を渡って行列が始まる。
拍子木を持った前ぶれとお坊さんに続き御詠歌、清め箒、お坊さん、お侍、駕籠、従者と続くようだ。
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三途の川の太鼓橋を渡って来る行列。
恐山総門前を行く行列。六大地蔵がお出迎え。
総門に向かう御輿。山主は総門で下乗。
山門をくぐり地蔵堂に向かう行列。
地蔵堂に向かう行列。
山門。地蔵堂でのお祈りは数分で終了した。
総門。
宇曾利山湖と大尽山。
<八戸三社大祭> 青森県八戸市 2007年 8月 1日撮影
豪華絢爛山車で有名な八戸三社大祭を見てきた。
8月1日は神輿と山車の合同運行が昼の3時から行われた。
八戸三社大祭は毎年7月31日から8月4日開催。
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虎舞に頭をかじってもらうと頭が良くなるとか病気しないなどといわれる。子供裃。
巫女さん。山車に乗った囃子方。
福寿長久。海神新田義貞稲村ヶ崎竜神祈願。
歌舞伎狂言「四天王楓江戸粧」。かぐや姫 月の宴。
<大川原火流し> 青森県黒石市大川原 2007年 8月 16日撮影
「大川原火流し」は奇習、奇祭と呼ぶにふさわしい。
カヤとワラで作った舟を、舟子数名が曳きながら川を下る。
舟は、稲の早生(ワセ)、中生(ナカ)、晩生(オクテ)に見立てた3艘で、来年の豊凶を占う。
朝から各戸が集めたアシガヤとワラを使って舟を作る。
スゲ笠と野良着にすね当てをした舟子が早瀬や淵を懸命に舟を曳き、岸から村衆が笛太鼓と「ガンバレー」と声で励ます光景は、山奥の集落の厳しさと暖かさが交錯する。
■大川原集落は、南北朝時代に落人が移り住んだ集落だといわれている。この夜、自分で27代目だという住人と話をした。8月16日は後醍醐天皇の命日に当たり、650年以上にわたって絶えることなく火流しが行われているそうだ。灯火管制が厳しかった太平洋戦争中も中止しなかったとのことだ。
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大川原集落の上流端で早朝から舟作りに精を出していた。
テキパキと手が動いていく。
帆柱が自立した。
舟が完成。散らかったカヤ、ワラをかたづける者。舟子が曳く縄を取り付ける者。
ワラをあつかう手慣れた手。
完成して夜を待つ。
火流しの神事の前に、余ったワラ・カヤに火がつけられた。
火流しの前に川に入って水の感触を楽しむ。テレビの取材を受けていた。
スゲ笠と野良着姿の舟子のシルエットが物思いにふけるようだ。
神事。火流しを待つ人々。
舟に点火。
帆柱の先に火を受け、流れに曳き入れられる3艘の舟。
流れに入っていく舟と舟子。  (左の小さな写真にカーソルを置くと右の写真が入れ替わります。)




不如意な川の流れと川底のため悪戦苦闘している舟子たち。  (左の小さな写真にカーソルを置くと右の写真が入れ替わります。)




火を消さないよう悪戦苦闘する舟子たち。  (左の小さな写真にカーソルを置くと右の写真が入れ替わります。)




深みに足を取られて大変そう。橋の上から「ガンバレー」と黄色い声が飛ぶ。  (左の小さな写真にカーソルを置くと右の写真が入れ替わります。)




<馬市まつり> 青森県つがる市木造町 2007年 8月 26日撮影
農耕馬の取引が盛んだった津軽地方でも昭和の農業機械化の中で馬市が衰退した。
昭和50年から馬市にちなんだ「馬市まつり」が開催されるようになった。
馬市まつりの最終日、「馬ねぶた」に火が放たれる「新田火まつり」を見てきた。
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火がつけられ、馬ねぶたのシルエットが浮かび上がった。
燃え落ちていく馬ねぶた。
<能舞> 青森県東通村 2007年 11月 24日撮影
青森市にある青森県観光物産館アスパムで「2007青森県まるごと市町村まつりinアスパム」が開催され、各地の地場産品の紹介とともに、郷土芸能が披露されていた。
郷土芸能には県内19団体が参加し、「能舞」は東通村郷土芸能保存連合会鹿橋青年会によって「鐘巻(かねまき)」が演じられた。

「能舞」は、和歌山県の熊野権現が発祥の地と言われ、14世紀に基本形式が完成し、山伏や修験者によって日本各地に伝えられたが、現在では東北と北陸で伝承されるのみとなっている。
東通村の「能舞」は、15世紀に修験者が目名不動院を建立して以来受け継がれ、現在でも多くの集落で舞われている。平成元年には国の重要無形民俗文化財に指定された。
正月2日から各集落では、権現様(獅子頭)の歯打ちによって悪魔退散と五穀豊穣を祈祷する門打ちが各家を回り、夜は集会所で能舞が演じられる。

能舞は、式舞(儀礼舞)、武士舞、修験舞、道化舞、権現舞に分類できる。式舞では、鳥舞・かご舞・翁・三番叟の4演目が舞われる。武士舞では、東北人が好む武人に関わる演目が多く、源氏に関するもの(信夫・屋島・鈴木・鞍馬・巴・渡辺)や曽我兄弟に題材を求めたものが演じられる。修験舞では、神通力や法力など修験者の能力を誇示する鐘巻が演じられる。道化舞は、笑いを提供する10の演目が伝承されている。能舞演目の最後を飾るのが権現舞で、悪魔退散・五穀豊穣・火難水難からの守護を祈祷する。
鐘巻(かねまき)
能舞の代表演目で、鬼神になった娘を、修験者が祈祷によって救い出すという、修験者の法力を誇示する内容であり、修験能としての仕立てになっている。元ネタは紀州の道成寺縁起と見られ、能では「道成寺」、歌舞伎では「京鹿子娘道成寺」として完成している。
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面をつけない舞。
仏教に深く帰依した庄屋の一人娘。
笛、太鼓、手平鉦。詞章を唱えるうたかけ。
神通力を持った修験者。腹の底からの唸り声が会場に轟いて観衆を圧倒する。
発狂した娘が鬼女となる。
神通力で鬼女を元の娘に返そうとする修験者。
<斧懸神社・神楽の舞い> 青森県青森市戸山 2008年 6月 11日撮影
6月9日善知鳥神社を皮切りに青森の宵宮シーズンが始まった。
爆裂音で告知することを目的とした打ち上げ花火が午後の空気を震わせ、「今日は何処?」という会話を惹起する。
11日は、坂上田村麿が草創したとされることから1200年以上の歴史がある斧懸神社(おのがけじんじゃ)の宵宮だった。
境内にある「斧懸の松」に、きこりたちが、斧の形をした枝を投げ懸けて木の切り出しの可否を占ったそうだ。
菅江真澄は「花の木を くだすもうしと山賤の とらでやしばし 斧懸の松」と詠んだ。
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斧懸神社宵宮。神楽の舞が始まっていた。
「神入の舞(かみいりのまい)」:面をつけずに舞う。東西南北・中央・天と地を清め、すがすがしい場所に斧懸神社の大山祗神(おおやまつみのかみ)の大神(おおみかみ)をお迎えする舞いだという。
拝殿のまわりから人々が見守る。
「磯浪の舞(いそらのまい)」。こわそうな、黒っぽい海の神さまの面をつけて舞う。ホオリノミコトが、兄のホデリノミコトから釣り針を借りて、釣りをしているうちに見えなくしてしまい、代わりの新しい釣り針をたくさん作ってゆるしてもらおうとしたが、ゆるしてもらえず海辺で困っていたとき、海の神さまが海中の藻の中から見つけ出してくれたり、龍宮城へ案内してくれたり、宝ものをもらったりした舞いだという。
「宝剣の舞(ほうけんのまい)」:恐ろしい天狗の面をつけて舞う。天照大神から、日本を治めるよう命ぜられたニニギノミコトが天から降るとき、サルタヒコノミコトが護衛している舞い。妨害するものがいないか、とても切れそうな剣を手に持ち、上下・前後・左右を、恐ろしい顔つきでにらみつけながら案内したのだそうです。
ささやかに露店が店開きしていた。
日が没した境内。
夕闇。
<荒馬まつり> 青森県今別町大川平 2008年 8月 7日撮影
青森ねぶた祭りが開催されている間(8/2-8/7)に津軽半島北辺の今別町では楽しい祭りが行われている。

サナブリの神事に由来する祭りを”楽しい”と言っては語弊があるが、勇壮な踊りの割りには見ていてほのぼのした雰囲気があるのである。
馬を演じる小道具が可愛らしく、女性の口取り役に手綱を曳かれて踊る荒馬の姿に愛嬌がある。
そして、なんと言っても馬役と口取り役の男女がペアになって呼吸を合わせて踊る様子がなんとも嬉しい。

そんな雰囲気に惹かれてだろうか、この祭りの踊り手たちは県外から泊まり込みでやってくる大学生たちなのだ。
今年は大分、京都、愛知の大学生ら70人が今別町の文化会館などで寝起きしているそうだ。 →番外写真

この日は昼過ぎから大川平集落の小さな小路を一つひとつ丹念に訪れて鉦の音を合図に舞っていました。
家の門々に出て舞いを楽しむ人以外は数名のカメラ好きの人たちが歩いているだけの地域限定の行事でした。

荒馬まつりは毎年8月4日から7日までの4日間行われています。
今別町では「荒馬」を「あらま」と呼ぶ。
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大川平文化会館前からスタート。
手綱に曳かれる荒馬たち。
太刀振り、荒馬、囃子、扇ネプタと続く。
鐘の合図で太刀振りたちが踊る。
勇壮な荒馬と可憐な口取りの踊り。
口取りは手綱を荒馬に投げ渡す。
口取りと荒馬は楽しそうに歩いていく。
長閑に進む荒馬まつり。
集落の狭い道にあふれる熱気。
軽やかに跳ねる。
手綱がうねる。
呼吸のあった踊り。
手綱は語る・・・・
2時間以上踊り続けても衰えない若人の踊り。
囃子方。
大川平荒馬保存会。
<泣き相撲大会> 青森県青森市浪岡 浪岡八幡宮 2008年 8月 15日撮影
「青森市・浪岡八幡宮夏場所」と銘打って第七回県下 泣き相撲大会 が行われた。
お相撲さんに抱いてもらった赤ちゃんはすこやかに育つ、という信心から始まった泣き相撲だという。
中入り後の取組みが18行われ、浪岡を中心に県内各地から参加した赤ちゃんに加えて北海道、秋田、大阪からの参加もあった。
赤ちゃんの年齢は、1歳以下を中心に5ヶ月から2歳5ヶ月までだった。
ふっくらとした赤ちゃんは、同じくふっくらとしたお相撲さんの体格と良くマッチして、赤ん坊の愛らしさをいや増していた。
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泣き相撲大会は浪岡八幡宮で神事として行われた。
鳥居に懸けられた武者絵が印象的。
赤いちゃんちゃんこは赤ちゃんの産着。
見合って見合って。
お相撲さんが着ている赤に黒衿のちゃんちゃんこは赤ちゃんの産着。
土俵中央からだんだん正面に。
親も兄弟も楽しそう。
カメラマンへのサービスは満点でした。新聞各紙とテレビカメラもたくさん来てました。
勝ち名乗り。
<迎え火・送り火> 青森県弘前市小沢 2008年 8月 16日撮影
お盆の風習に迎え火と送り火がある。
弘前の小沢地区では、お盆の期間は毎日、家々の門口で火を焚いている。
一般的なお盆の期間は8月13日から16日であるが、13日から20日までの毎夕刻に火を焚いているそうだ。
門口で実際に火を焚くことが難しくなってきているが、小沢地区では各戸の作法で続けられている。
弘前の市街地でも商店の軒先や歩道で火を焚く情景が散見され、思いがあれば場所や仕草にこだわらないものだと感じた。
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午後7時頃。故人を偲んで火を見守る。
静かな盂蘭盆の行い。
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