■青森県写真集■
青森県の 『南部地方 』 の写真を集めたページです。
2006年、2007年、2008年の3年間に撮影しました。
   <キクザキイチゲ、カタクリ、ミズバショウ> 青森県上北郡七戸町 東八甲田家族旅行村 2006年 4月22日撮影
七戸町にある東八甲田家族旅行村というところでカタクリの花が五分咲きだという報道があったので出かけていきました。
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紫色のキクザキイチゲ(菊咲一華)。太陽の方を向いて花弁に光を集めているようです。
見つけました、カタクリ(片栗)の花です。報道の通りで、咲いている花は少なかったです。
キクザキイチゲの白色バージョンですが、こちらのほうが多かったようです。。
白色のキクザキイチゲは群生していました。
まだ雪が残る斜面にカタクリが咲いていました。小径に沿ってキクザキイチゲは群生していました。カタクリも葉とツボミが見えました。
水が流れる沢筋にはミズバショウ(水芭蕉)がありました。
   <種差海岸> 青森県八戸市 2006年 8月 3日撮影
多くの文人墨客が美しいと評する種差海岸に行ってきた。

東山魁夷
風景画家・東山魁夷(明治41生、平成7没)の作品『道』(昭和25第6回日展)は、種差海岸でのスケッチを基に描かれた。
昭和40年刊の『風景との対話』の中で氏が語った件がある。
『ひとすじの道が、私の心に在った。夏の早朝の野の道である。青森県種差海岸の牧場でのスケッチを見ている時、その道が浮かんできたのである。正面の丘に灯台の見える牧場のスケッチ。その柵や、放牧の馬や、灯台を取り去って、道だけを描いてみたらーと思いついた時から、ひとすじの道の姿が心から離れなくなった。道だけの構図で描けるものだろうかと不安であった。しかし、道の他に何も描き入れたくなかった。…私は、しっとりと潤いのある道が描きたかった。事情を話して牧場へ泊めてもらい、朝早く、まだ陽の登らぬうちに、この道を写生した。…こつこつと積み上げるような丹念な描き方で仕上げていった。この年、はじめて日展の審査員になり、この『道』の出品作は多くの人々の共感を得て、画壇的にも世間的にも認められるようになった。…』

司馬遼太郎
昭和47年「街道をゆく3」陸奥のみちの中での件、
「・・・どこかの天体から人がきて地球の美しさを教えてやらねばならないはめになったとき、一番にこの種差海岸に案内してやろうとおもったりした」
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昼間の種差海岸の写真です。
真夏ですが、なにか涼風を感じる芝生海岸です。
ハマナスの実と花。タチギボウシ。
ノコギリソウ。
スカシユリ。
ハマフウロ。
   <蕪島夜景> 青森県八戸市 2006年 9月 3日撮影
暗いうちに八戸に着いたので夜の蕪島を見た。
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ウミネコの繁殖で有名な蕪島の夜景です。
   <種差海岸> 青森県八戸市 2006年 9月 3日撮影
海から昇る朝日を見たかったので種差海岸に行きました。残念ながら東の水平線の上は厚そうな雲が覆っていました。
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雲をかき分けて陽光が射しました。
南東の太平洋上にある台風12号(955ヘクトパスカル)の先駆けでしょうか、海岸では大きな波が砕けています。沖合に白い波頭が見えないので穏やかな海に見えますが、海岸近くになると突然大きな波が盛り上がっていました。
<名久井岳> 青森県南部町 2006年 9月 3日撮影
青森県南部町の名久井岳に登りました。
近くを通ったのでせっかくだから上ってみました。頂上では眺望がグルッと360度ありました。
名久井岳はムクムクとした姿で目立ちます。
頂上からは八甲田連峰はもちろん、太平洋や下北半島が見えているようでした。
頂上からのパノラマ(南西から北西の方角)。中央に八甲田連峰。左に田子町、三戸町。
登山道の長さは駐車スペースから700mとのことですが、きつい登りでした。
<蕎麦> 青森県田子町 2006年 9月 3日撮影
そばの花が見頃で朝露が朝日を浴びて輝いていました。
山あいの小さな畑で蕎麦が栽培されていました。南部地方には美しい松がありました。
<みろくの滝> 青森県田子町 2006年 9月 3日撮影
高さ30m幅20mの岩肌を流れ落ちる「みろくの滝」を見てきました。
別名「ソーメンの滝」と呼ばれているそうです。

眺めれば眺めるほど、関西テレビの「さんまのまんま」に出てくる「まんま」という着ぐるみの犬型宇宙怪獣(明石家まんま、まんまちゃん)に似ています。
岩の表面を静かに水が這い下っていました。
 <三沢基地航空祭> 青森県三沢市 2006年 9月 10日撮影
三沢基地航空祭のブルーインパルスの展示飛行を見たいと思い出かけていきました。
何とか天気は持ちこたえてくれていましたが、13時40分から始まるブルーインパルスの飛行の直前にひと雨来てしまいました。
実は、航空祭が行われている三沢基地には行きませんでした。大空を雄大に飛行する姿を見たかったので、三沢基地からは小川原湖を挟んだ対岸になる東北町の湖岸に陣取って眺めていました。
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轟音が聞こえて来たのと同時に編隊が煙を引きました。
右に行ったり左に行ったり。
基地上空での旋回。
小川原湖を越えて東北町の上空へ、編隊飛行のまま煙を出して飛んできました。
空を自由に、アッと言う間に行ったり来たり。
煙を引かない編隊は浮かんでいるように見えました。
陽光を浴びると浮遊感が際立ちます。
編隊飛行は貼り付いているようです。
短波傍受施設(通称「象の檻」)の上を飛翔する。
ショーが終わった時、八甲田連峰は雲がたれ込めていました。
<流鏑馬競技会> 青森県十和田市中央公園緑地 2006年 10月14日撮影
十和田市は、明治18年に帝国陸軍軍馬局出張所(明治29年軍馬補充部三本木支部)が設置され、以後60年間日本最大の軍馬の補給地となりました。
この軍馬補充部の存在が南部地方の経済や文化に与えた影響は大きく、今も馬に関わる行事が盛んです。
「流鏑馬」は古くから日本各地で行われていますが、「駒フェスタ in 十和田」で行われた流鏑馬は競技としてルールを考案されたものだそうです。競技ではありますが、日本文化としてのこだわりがあり、馬は和種または和種系であること、馬装は和式、騎手も和装を楽しんでいるようです。そのため、華やかな装束を観客は楽しめました。
神事や武芸として行われる流鏑馬が女人禁制が基本であるのとは対照的に、競技流鏑馬は女性の騎手が多いようです。
若い男性の颯爽とした射姿と年輩の男性の渋い騎乗姿も良かったです。
200mの馬場で3つの的を射る。
当たった的では赤い傘を開いて的中を知らせます。
200m中150mで走り抜ける時間を計測し順位の要素にします。決勝の記録によると6秒から13秒で走り抜けます。
最年少の騎手。3的中の傘。
集中と解放と。
射終わって矢を受け取りながら引き上げます。
和装が大変美しい。
和式へのこだわり。
射終わって馬溜まりで放心状態のよう。
<えんぶり> 青森県八戸市 2007年 2月17日撮影
冬の青森で祭りらしい祭り、「えんぶり」を見てきました。
えんぶりは約800年前から続く豊作祈願の芸能。
馬をかたどった大きな烏帽子をかぶった頭を大きく振る独特の舞が有名だが、子供たちが恵比寿や大黒などに扮する祝福芸も楽しい娯楽性の高い芸能だった。

「どうさいえんぶり」は烏帽子の前に房がついており、テンポが速く激しく舞う。
「ながえんぶり」はゆったりと舞い、烏帽子に房はつかず、リーダー「藤九郎」の烏帽子に「ボタン」か「ウツギ」の花が付く。
田をならす農具「えぶり」を持って踊ったことから「えんぶり」、大地に眠る神様を呼び起こすことを「いぶり」と言うことから「えんぶり」。
子供が舞う「えんこえんこ」に、大黒舞、恵比寿舞、松の舞。

毎年2月17日から4日間開催されるが、今年は17日が土曜日に当たっていて見に行きやすい巡り合わせだった。
初日の17日は朝7時から長者山新羅神社に奉納摺りが行われる。
奉納を終えたえんぶり組は、10時から賑やかに市街地の一斉摺り会場に向かう。

昭和54年2月に国の重要無形文化財に指定。
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長者山新羅神社(ちょうじゃさんしんらじんじゃ)「五穀豊饒」「万人安穏」「無病息災」の祈願所に舞を奉納。
神前にうやうやしく。
神前に進まない囃子方は太鼓、手平鉦(てびらがね)、笛で賑やか。
拝殿に近づき太鼓のバチに気合いが入った。
囃子に合わせた子供たちのかわいい声が聞こえてきた。
小さな社にもお参り。
「どうさいえんぶり」の激しい舞。烏帽子の前に付いている房を振り回すように頭を大きく振る。
烏帽子を地面に摺るようにも見えるし、足を摺るようにも見える。えんぶりを「舞う」ことを「摺る」と呼ぶ。
松の舞。子供たちのかわいい仕草。ひょうきんにも見える。
恵比寿舞。最後に鯛を釣り上げる。
翁が進み出て。
ゆったりと舞う「ながえんぶり」。烏帽子には房がついていない。
えんぶりの絵馬が掲げられた拝殿。
鈴とお金をつけた銭太鼓を持って踊る「えんこえんこ」。農作業時の子供の役割は赤ちゃんのお守り。
えんぶり行列。
太鼓は横にいても腹に響く。背負う人はキツイだろう。
えんぶり組が長蛇の列に。
なんだかひょうきん。冬の農閑期の芸能だったのかも。
一斉摺り。
松の舞と大黒舞。市街地道路での一斉摺りの一コマ。
市街地道路での一斉摺り。激しく摺る一方で、南京玉すだれの話芸も。
笛や太鼓。
<フクジュソウ、キリストの墓> 青森県新郷村 2007年 3月 3日撮影
神秘の新郷村に春を探しに行ってきました。
八戸市から国道454号線を西に、五戸町を抜けて新郷村に入る。さらに西に行くと十和田湖に至るが、冬季は閉鎖され、除雪されているのは道の駅「しんごう」まで。その道の駅「しんごう」でさえ冬季は雪に閉ざされている。
なぞの「キリストの墓」、「ピラミッド」や「ドラキュラアイス」を確かめてきた。
途中、フクジュソウが咲き、春の訪れも感じられました。
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キリストの墓の説明書きは「ゴルゴダの丘で磔刑に処されたのは弟のイスキリであり、キリスト本人は日本に渡り、ここ新郷で106才の天寿を全うした」と記しています。
向こうの十字架が弟イスキリの墓「十代墓」、手前がキリストの墓「十来塚」。
大石神ピラミッド。
たんぼのワラ。
フクジュソウ。
ドラキュラアイス。
■降って湧いたキリストの墓伝説■
昭和10年、戸来村(へらいむら:現在の新郷村)の小高い竹やぶの中で土まんじゅうを発見し、キリストの墓「十来塚」と弟イスキリの墓「十代墓」ということになった。
この発見は、当時の佐々木伝次郎村長が、日本画家で古代史研究家の鳥谷幡山氏(とやばんざん)らを案内して村おこしの一環で実現した模様。
昭和11年、茨城県磯原町の武内巨麿氏(たけうちきよまろ:武内宿禰(たけのうちすくね)66代目の子孫にあたる皇祖皇太神宮。天津教。)の所蔵する文庫の中からキリストの遺言が発見され、裏付けられることになる。
この遺言によると、垂任天皇の時代、21歳のイエス・キリストは日本で約10年間修行し、ユダヤへ帰るが、まもなく迫害され磔(はりつけ)になったとされるが、実際に処刑されたのは弟のイスキリで、イエスは弟の遺髪を持ってシベリアへ逃れ、最終的に日本の八戸港へ上陸して戸来村に住みついて、十来太郎大天狗と称し、日本女性ミユ子を妻とし、三女をもうけ、106歳でなくなったということになっている。

降って湧いた説「湧説」と言う人もいるとか。
昭和38年から、6月第一日曜日にキリスト祭を観光協会が開催している。
■ナニャドヤラ■
青森県南部から岩手県北部に伝わる「ナニャドヤラ」の唄に合わせて踊る風習がある。
日本最古の盆踊りと自負する。
ネットで拾った唄詞の表記。
「ナニャドヤラ ナニャドナサレノー」
「ナニャドヤラー ナニャドナサレノ ナニャドヤラー」
「ナニャードヤレー ナニャドナサレデア ナニャドヤラヨー」
○唄詞の意味
・民俗学者の柳田國男は、「なんなりとおやりなさい」「なんなりとなされませんか」「どうなりともなさるがよい」と、女が男に向かってと呼びかける恋唄と解した。つまり、「今日は楽しい祭りの日です。若者達よ、もっと勇気を出して自分の心を示しなさい。元気を出しなさい」と若者を鼓舞している歌であるという説。
・言語学者の金田一京助は、「なせばなる、なさねばならぬ何事も」という道歌が地元方言でなまったものとして、笠宮殿下のご下問に答えたとのこと。
・長慶天皇(足利尊氏に吉野から追われ、名久井岳の長谷寺に隠棲)が梵語で作った唄との説。「長谷嶺居野宰叡(長谷よりほかに住む都がない)」という意味。味方に無事を知らせる内容をであるとの説。
・新郷村村史に長慶上皇の崩御に際しての弔い歌であると記載されている。
 奈任耶阿堵野羅世(なにゃあどやらよ) 
 奈任耶阿堵長谷嶺居野宰叡(なにゃあどなされいのさえ)
 奈任耶阿堵野羅世(なにゃあどやらよ)
・川守田英二(1891〜1960、岩手県一戸市出身)は、ヘブライ語で解釈。「お前の聖名をほめ讃えん お前の毛人を掃蕩して お前に聖名をほめ讃えん」、「聖前に主を讃えよ、聖前に主は逆賊を掃討したまえり 聖前に主を讃えよ」、「神のもとに、自分の軍は敵をやっつけたのだ。自分たちの大将を誉め称えよう」という意味の行進曲との説。
・一遍和尚が「ナムアミダブツ」を普及して歩き、念仏踊りとなって東北に伝わったとき「ナムアミダブツ」が「ナニャドヤラ」と変化したとする説。
・北村益(八戸町長)は、五・七・五で、俳句の元祖みたいなもので、もっとも短い短詩形の歌であるとの説。
○他の地方の人には「ニャンニャン」としか聞こえないため、「南部の猫唄」と呼ばれたりもする。
<ウミネコの営巣> 青森県八戸市蕪島 2007年 5月 19日撮影
ウミネコの繁殖地として有名な八戸の蕪島に行って来ました。
土砂降りの雨の中でシンプルな窪地型の巣で健気に卵を暖めていました。
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蕪島は菜の花で黄色でした。
蕪島の横の砂地で営巣していました。
<山間の水田> 青森県三戸町貝守 2007年 5月 19日撮影
馬淵川の支流、猿辺川沿いで水を張ったばかりの水田を見ました。
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山間の水田にしっかりした民家がありました。
山に埋もれる。
<カラマツの新緑> 青森県三戸町平森 2007年 5月 19日撮影
雨の中、カラマツの新緑が淡い緑を提供していた。
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水滴をまとったカラマツの新緑は柔らかい緑だ。
ホウノキ。
<高瀬川河口> 青森県六ヶ所村 2007年 7月 14日撮影
小川原湖は高瀬川水系の大きな海跡湖で汽水域になる、
下北半島の太平洋岸を南北に走る国道338号線から海浜に向かって入ってみた。
ヤマセ(東風)が吹き付けて寒かったが、広々として気持ちが良かった。
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高瀬川河口右岸は天ヶ森射爆撃場。
高瀬川河口左岸はむつ小川原港まで続く砂浜。
砂地。
ハマニガナ。アキノノゲシのロゼット状葉。
メマツヨイグサ。
ハマヒルガオ。シロヨモギ。
<八戸三社大祭> 青森県八戸市 2007年 8月 1日撮影
豪華絢爛山車で有名な八戸三社大祭を見てきた。
8月1日は神輿と山車の合同運行が昼の3時から行われた。
八戸三社大祭は毎年7月31日から8月4日開催。
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虎舞に頭をかじってもらうと頭が良くなるとか病気しないなどといわれる。子供裃。
巫女さん。山車に乗った囃子方。
福寿長久。海神新田義貞稲村ヶ崎竜神祈願。
歌舞伎狂言「四天王楓江戸粧」。かぐや姫 月の宴。
<三沢基地航空祭> 青森県三沢市 2007年 9月 02日撮影
雨が降ったり止んだりの天候で、ブルーインパルスのアクロバット飛行は後半が中止になった。
それでもものすごい人出で、広大な基地の中を大勢の人々が行き交っていた。
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間近に見る戦闘機は最新式のものほど小さく見えた。
時折パラパラと来る雨に傘も差しにくい。
C−17輸送機の飛行展示。大きな機体が短い滑走でふわりと浮き上がる。広い基地滑走路ではほとんど滑走していないような着陸。
F−2支援戦闘機の機動飛行展示。1機が飛び上がったが、ブルーインパルス6機の編隊飛行よりも大きな爆音が響いた。
ブルーインパルスJr.。最新式の機体でしょうか?
ブルーインパルスJr. ナレータを中心に円を描く編隊飛行。
ナレータを中心にご挨拶。展示飛行に向かうブルーインパルスはヒーローだ。
ブルーインパルス。4機が同時に離陸する。
まっすぐ飛んだり放射状に散開したりするだけでも見ていて気持ちが良い。
最初に6機が編隊でスモークを吐く。 (左の小さな写真にカーソルを置くと右の大きな写真が入れ替わります。)








よく見ると背面飛行をしている機が混在している。 (左の小さな写真にカーソルを置くと右の大きな写真が入れ替わります。)










<南部裂織> 青森県十和田市 2007年 11月 23日撮影
十和田市の国道4号線に道の駅とわだ愛称「とわだぴあ」が2002年に開設された。
青森県の伝統工芸「南部裂織」を保存、体験する施設として「匠工房」が併設されている。
工房には「地機(じばた)」と呼ばれる南部裂織をつくる機織り(はたおり)が60台あるとのこと。
「地機(じばた)」について『人間が機(はた)の中に入って機の一部と化しているのが「いざり機(地機)」の特徴で、扱うのが難しいかわり、慣れればこれに勝るものはない』と白洲正子氏が述べている。
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地機の操作。
地機が並ぶ。
<妙丹柿の里> 青森県南部町鳥舌内 2007年 11月 23日撮影
南部町の鳥舌内(ちょうしたない)地区は、「妙丹柿(みょうたんがき)」の産地だ。
妙丹柿は、粒は小ぶりで種が少ない渋柿なので、干し柿に適しているという。
柿は日本原産の果物で、日本各地に特徴的な品種が生育しており、青森県は柿の北限となっている。
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妙丹柿は背が高いので屋根の向こうに顔を出す。
柿のある風景。
枝は下に向かって流れ落ちるようだ。
集落の屋根を越えてオレンジの実が見える。
名久井岳。
小粒な妙丹柿。地面に落ちた実はほとんど見かけなかった。
 青森県写真集
<そばかっけ> 青森県南部町 2007年 12月 1日撮影
名川チェリリン村に「そばの里けやぐ」がある。
「けやぐ」とは、“親しい仲間”“仲のよい友だち”という意味。
青森南部地方の内陸部では、米がとれなかったので、昔の主食はそばや小麦だったそうだ。
「かっけ」とはお国ことばで「かけら」という意味で、「そばやうどんを打った後のかけらをお湯にくぐらせて食べる料理」というのが「そばかっけ」。
コンブと煮干しと大根と豆腐の湯を用意する。味噌とおろしニンニクで食べる。
三角形に切られたそばかっけ。沈んだかっけが浮かべば食べ頃。
ぶっかけそば。そば餅。
<ゴボウの収穫作業> 青森県東北町 2007年 12月 16日撮影
東北町の国道394号線を走っていると、雪の中でゴボウを収穫する光景に出会った。
青森県の東北町が属する上北地方は畜産と畑作が盛んな地域である。

青森県の食糧自給率は117%で、コメ、野菜、果実、畜産物、水産物、のそれぞれの産出額が600〜800億円とバランスがとれている。
青森県の畑作物生産量は、ダイコン、ナガイモ、ゴボウ、バレイショ、ニンニク、ニンジンなどの根菜類が全国のベスト5に入っている。
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白い雪原に黒い土が見えていた。
土の中からゴボウが次々と出てくる。
ゴボウをバケットに積み込んでいく。
<雪の高瀬川流域> 青森県六ヶ所村 2007年 12月 16日撮影
雪模様の高瀬川河口近くをドライブした。
面積で全国の11番目の広さになる小川原湖は高瀬川流域の大きな潟湖だ。
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小川原湖岸に繋留されたシジミ漁の船。
高瀬川の河口近くには海岸砂丘で封じられたような小さな沼沢が点在する。
砂を留める試み。
波打ち際に走り寄った女の子が「怖い」とつぶやいた。
<開墾村> 青森県三沢市斗南藩記念観光村 2007年 12月 16日撮影
会津藩士の過酷な運命の地となった斗南藩は廃藩置県(明治4年)により僅か一年余の歴史を閉じた。
斗南藩は明治4年8月弘前県に編入され、同年10月弘前県が青森県と改称されて県庁が現青森市に置かれた。
青森県が置かれた直後の明治5年、民間洋式牧場「開牧社」を設立した。
明治5年、旧斗南藩士廣澤安任(ひろさわやすとう)と旧八戸藩士太田広城はイギリス人のルセーとマキノンを招いて「開牧社」と言う会社をつくり、牧場を開きました。
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<ハクチョウ> 青森県六ヶ所村尾鮫沼 2007年 12月 16日撮影
国道338号線が尾鮫沼(おぶちぬま)の流出河川を渡るところにハクチョウの観察所がある。
一組の家族がハクチョウに食パンのミミをやっているのに便乗して、ハクチョウたちに近づいてみた。
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光が射すと羽をひろげて伸びをする。
レンズを向ける私にも興味津々。
餌をねだらないときのハクチョウはいい佇まいだ。
<三沢航空科学館> 青森県三沢市 2007年 12月 16日撮影
世界初の太平洋無着陸横断飛行の出発地になった三沢市には航空機をベースにした航空科学館がある。平成15年8月開館。
館内には青森県に縁のある航空史上の傑作が展示・紹介されている。
青森県に縁のある航空史上の出来事
 (1)日本初の民間プロ飛行士・白戸榮之助氏は五所川原市金木町出身。
 (2)航空機による周回航続距離の世界記録を樹立した航研機の設計者、工場長、パイロットとして青森県出身者が関与。
 (3)第二次世界大戦後初の国産航空機YS−11の技術委員長・木村秀政博士の先祖は五戸代官所の代官。
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太平洋を無着陸で飛び越えて行った二人の銅像が出迎えるエントランス。
1931年(昭和6年)10月、米国人飛行家クライド・パングボーン(35才)とヒュー・ハーンドン(26才)は、単発単葉機ミス・ビードル号を操縦して、三沢市淋代海岸を離陸、太平洋上を無着陸で飛行し、米国ワシントン州ウェナッチに胴体着陸した。
太平洋を無着陸で横断した初の快挙は、飛行時間41時間10分、飛行距離約7,847kmだった。
出発までの間、砂地をならして平らにした滑走路に杉板を敷き並べて滑走を容易にしたり、燃料の輸送と積み込み、機体の整備、宿泊の世話など、三沢の住民達は協力を惜しまなかった。

ミス・ビードル号
 ・アメリカ・べランカ社製の単発5人乗りの旅客機の後部座席と機体底部を燃料タンクに改造。
 ・全幅14.122m、全長8.420m、翌面積25.4平方メートル、エンジン出力450HP
 ・燃料約3,600L(ドラム缶18本分)を積み、約1,800m滑走して離陸。
 ・離陸後、車輪を切り離し、空気抵抗を減らして航行。

青森のりんごとのエピソード
ミス・ビードル号が出発するとき、三沢村民の小比類巻チヨさんが紅玉りんご数十個を手渡した。
困難な飛行中にあってこの青森りんごは二人を励まし、パングボーンは着陸を見守っていた母親に青森りんごを手渡したという。
お礼として、当時のウェナッチで評判のりんご品種であるリチャードデリシャスの果実を日本に送ったが、防疫上の理由で返送された。
この事情を知った青森県苹果試験場場長の須佐寅三郎氏は書簡を送り、1932年4月5日、穂木5本が送られてきた。
穂木は接ぎ木で増殖されてデリシャス系品種の改良に活用され、最近では2004年にあおり15号「星の金貨」が商標登録された。
1938年、航研機は航空機による周回航続距離の世界記録を樹立した。
周回飛行の概要
 ・千葉県銚子、群馬県太田、神奈川県平塚を結ぶ一周401.759kmの周回コース。
 ・千葉県木更津飛行場を1938年5月13日4:55に離陸、15日19:18に帰着。滞空時間62時間22分49秒。
 ・周回航続距離の世界記録11,651.011km、10,000kmコース速度の世界記録186.197km/時を樹立。
東京帝国大学航空研究所で岩本周平教授のもと五戸町出身の木村秀政らが設計。
東京瓦斯電気工業株式会社(のちの日野自動車)の大森工場で大湊出身の工藤富治が航空機機体工場長として製作。
弘前市出身の藤田雄蔵少佐が操縦。

航研機
 ・全幅27.93m、全長15.06m、全高3.6m、主翼面積87.3平方メートル、エンジン出力800HP
 ・機体重量4,225kg・離陸最大重量9,216kg
 ・最大速度245km/時、巡航速度196km/時
 ・乗員3名
第二次世界大戦後、日本は航空機の開発・製造・研究を禁止されていたが、1952年に禁が解かれた。
1957年、五戸町出身の木村秀政博士を技術委員長とした(財)輸送機設計研究協会が設立され、設計に着手。
1962年、試作1号機の初飛行。1965年、国産実用機として国内線に就航。
1973年(昭和48年)まで、182機が生産された。
YS-11の名は、輸送機設計研究協会の輸送の「Y」、設計の「S」、エンジンと翼の設計で、それぞれ1番目の案を採用したことから「11」(いちいち)と命名された。

YS−11
 ・全幅32m、全長26.30m、全高8.98m、主翼面積94.8平方メートル、 エンジン出力2,400軸馬力×2
 ・機体重量15,460kg、離陸最大重量24,500kg
 ・最大巡航速度474km/時、実用上昇限度6,100m、航続距離1,280km
 ・乗員2名、乗客64名
 ・初飛行:1962年(昭和37年)8月30日
<階上灯台> 青森県階上町 2008年 1月 6日撮影
青森県最東南端の地にある階上灯台まで足を伸ばした。
階上灯台
 昭和34年10月5日設置。昭和62年12月7日改修。光度5600カンデラ。光到達距離23km。構造物の高さ11m。水面から灯火まで22m。
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青森県と岩手県の境界を示す「縣堺石」が佇む。
岩手県側から見た階上灯台。
シンプルで美しい階上灯台。
<南部せんべい> 青森県三戸町 2008年 1月 6日撮影
店先で「南部せんべい」を焼いているところが見られるというので出かけてきた。
円形の型に水で練った小麦粉を入れて焼く「南部せんべい」。
型からはみ出た部分を切り落としたものを「せんべいのみみ」として売っている。
パリパリのみみやフニャフニャのみみなどがあり、店ごとに特徴があって、それぞれのファンがいるらしい。

三戸町で焼かれる「南部せんべい」は他の地域のものと比べると、やや薄手で軽い食感に特徴があり「三戸せんべい」とも呼ばれる。
三戸町には小さなお店が6軒ほどある。
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小山田煎餅店さんの店先。
煎餅を焼く窯。
生地を切る人、生地を焼く人。
<ハクチョウ> 青森県東北町乙供 2008年 3月 16日撮影
東北町を走っているとハクチョウの鳴き声がした。
雪が溶けて水びたしになった田んぼで、グジョグジョグジョしているハクチョウたちがいた。
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みんな同じ格好でグジョグジョしている。。
時たま元気に鳴き交わす。「なんか文句あっか!」
あぜ道でハクチョウと触れ合う。貨物列車「金太郎」。
<マテ小屋・小川原湖> 青森県三沢市、六ヶ所村 2008年 7月 2日撮影
小川原湖でかつて行われていた、海水と淡水が往来する汽水域でヤナを仕掛け、行き来する魚を捕らえる漁をマテ漁というそうだ。
マテ漁で漁師が湖上で待つために作られた小屋をマテ小屋と言う。
観光用に復元された小屋が3棟、湖上のアクセントとなっている。
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高瀬川の右岸・三沢市から。
小さな虫が大発生していた。
<ウミネコ・蕪島> 青森県八戸市 蕪島 2008年 7月 19日撮影
大きなヒナがウロウロしているウミネコたちの蕪島。
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そろそろ子育ても終わっているようだ。
雨は降っていないのに傘をさす。
エサをねだる。
<階上灯台> 青森県階上町 階上灯台 2008年 7月 19日撮影
夕闇迫る階上灯台を見てきた。     → 昼の階上灯台
種差海岸をはじめとする各地のキャンプ場ではテントがゆったりと張られ、バーベキューの炭火が見える。
夏休みに入った子どもたちの歓声が闇の中から聞こえてくる。
階上灯台が立っている小舟渡園地にもテントが数張り肩を寄せ、隣接する小舟渡小学校の体育館の灯が夕闇の中で暖かだった。
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陽の沈んだ方角。
南東の方角。
<種差海岸> 青森県八戸市 種差海岸 2008年 7月 20日撮影
久しぶりに種差海岸にやって来たが、あいにくの曇り空だった。
オオマツヨイグサやツリガネニンジンが咲いていた。
薄暗い天気だったが、海岸に面して咲く花の密度の高さは相当なもので、誰かが植栽しているのではないかと思われるほどであった。
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オオマツヨイグサと岩の海岸。
オオマツヨイグサ。比較的新しい帰化植物だそうだ。
ミソハギ。ツリガネニンジン。
スカシユリ。
ツリガネニンジン。
<三角乳穂・六戸町> 青森県六戸町 2008年 10月 4日撮影
六戸町が属する青森県南部地方では、三角乳穂(サンカクニオ)という稲干しスタイルが見られる。
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三角乳穂。
三角形の内側で穂が守られているようだ。
稲の束を手際よく立てていた。
三角乳穂の準備。
仲良しの犬と猫。
稲田と三角乳穂。
<ハマギク・種差海岸> 青森県八戸市種差海岸 2008年 10月 4日撮影
久々に種差海岸に行ってきた。
やや盛期を過ぎていたが、白いハマギクが海岸に群れ咲いていた。
ハマギクは「日本の花」という意味の属名Nipponanthemumを持ち、茨城県から青森県の太平洋岸に自生しているそうだ。
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葦毛崎展望台から大須賀海岸の岩場にハマギクが咲いていた。
厳しい環境に咲いている。
岩場に踏み込むと、大きな岩塊の間をハマギクが埋めていた。
学名に「日本の」や「日本産の」という意味の種小名・種形容語を持つ植物の例
ヒメザゼンソウ (サトイモ科 ザゼンソウ属)
ヒメクワガタ (ゴマノハグサ科 クワガタソウ属)
オニシオガマ (ゴマノハグサ科 シオガマギク属)
イワツメクサ (ナデシコ科 ハコベ属)
ミヤマリンドウ (リンドウ科 リンドウ属)
ヒナザクラ (サクラソウ科 サクラソウ属)
ハルユキノシタ (ユキノシタ科 ユキノシタ属)
ハマギク  (キク科 キク属)
ナンブアザミ (キク科 アザミ属)
ミヤマムラサキ (ムラサキ科 ミヤマムラサキ属)
ジュウニヒトエ (シソ科 キランソウ属)
オニアザミ (キク科 アザミ属)
Symplocarpus nipponicus
Veronica nipponica
Pedicularis nipponica
Stellaria nipponica
Gentiana nipponica
Primula nipponica
Saxifraga nipponica
Nipponanthemum nipponicum (=Chrysanthemum nipponicum
Cirsium nipponicum
Eritrichium nipponicum
Ajuga nipponensis
Cirsium nipponense
ノジギク (キク科 キク属)
ヤマホロシ (ナス科 ナス属)
ノアザミ (キク科 アザミ属)
オウギカズラ (シソ科キ ランソウ属)
Chrysanthemum japonense
Solanum japonense
Cirsium japonicum
Ajuga japonica
<おらほの田舎スイーツ コンテスト> 青森県三沢市 古牧温泉青森屋 2008年 10月 11日撮影
「おらほの田舎スイーツ コンテスト」の2回目が三沢市の古牧温泉青森屋で開催された。
5名の審査員が32作品を審査し、@コメント賞、Aネーミング賞、B準グランプリ、Cグランプリ、に加えて審査員特別賞を決定した。
パワフルAOMORI!プロジェクトのメンバー打合せ。古牧温泉青森屋の南部曲屋。
作品のセッティングに使われる津軽金山焼と八戸焼の器。
狭いことなど気にせず没頭する出展者。
盛りつける器を選ぶ。
場所を確保して作業を始める。
さあ!賞を取るぞ!
最後の仕上げは暖かさ?
丹念に盛りつけ。
真剣な飾り付け。
和気藹々と。
審査員のもとに運ばれるスイーツたち。
力作をカメラに納める。
田舎スイーツ。
透明な秋の演出。
実行委員長から表彰。
仲間と受賞の喜びを分かち合う。
受賞を喜ぶ笑顔。
グランプリ受賞者。グランプリ受賞者の微笑ましい仕草に笑みがこぼれる。
コンテスト主催者と実行委員長の挨拶。
稲垣藁の会による藁馬づくり体験コーナー。
南部曲屋には南部裂織保存会の工房が常設されていた。
<妙丹柿の里:南部町> 青森県南部町鳥舌内 2008年 11月 24日撮影
柿は日本原産で青森が北限だそうだ。
昨年に続いて南部町の長舌内(ちょうしたない)に妙丹柿を見に行ってきた。
干し柿のスダレを期待していたが、ほとんど見られなかった。
農家の人に聞くと採算が合わないので収穫しないのだそうだ。
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名久井岳の懐。
妙丹柿は背が高い。
赤い屋根と白壁。
干し柿。
蕎麦の畑。
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