■青森県写真集■
青森市の 『市街地 』 の写真を集めたページです。
2006年、2007年、2008年の3年間に撮影しました。
<青森港の夜景> 青森県青森市 2006年 5月20日撮影
青森港は青函連絡船の発着港でした。
ベイブリッジのたもとに、青函連絡船の八甲田丸が係留されています。
別のページに昼間の青森港と岩木山の写真を掲載しています。→岩木山と青森港
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青森港の旅客ターミナルから見た、青森ベイブリッジ、アスパム方向をパノラマにしてみました。
新中央埠頭先端の灯台はとてもハイカラです。
青森ベイブリッジ。右の橋脚の手前に八甲田丸が係留されています。
八甲田丸は青函連絡船記念館として係留されています。波で揺れるたびに鋼材のきしむ音がしていました。
   <ねぶた> 青森県青森市 2006年 8月6日撮影
五所川原の立佞武多に続いて青森の「ねぶた」を堪能しました。
青森のねぶたは立佞武多と比べて小ぶりですが、広い道路の上をうねるように蛇行したり観客席に向かって見得を切ったりする動きに、沿道を埋めた観客が大きくどよめき歓声を上げる雰囲気はなかなか良いものでした。
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ねぶたの大きさは、縦5m、横9m、奥行き7m。
一人の指揮者の笛と扇子に操られてねぶたが踊ります。
観客達はこっちへ来いとねぶたを呼びます。
笛と手振鉦の囃子方。
跳人の後ろにねぶたが迫ります。
正統派(?)の跳人はゆったり大きく跳ねていました。
ねぶたを踊らせる縁の下の力持ち。
2時間(19:10〜21:00)の運行が終わって、去っていく。夏を惜しむように。
岩木山ミニ知識
■ねぶたの由来
身についた罪や穢(けが)れを川や海の水で洗い清める禊ぎ(みそぎ)を目的とした行事が起源
農作業が忙しく暑さの厳しい夏に襲ってくる睡魔を追い払う「眠り流し」に変化
江戸時代、七夕祭り松明流し精霊流し眠り流し盆燈篭などが変化した。
簡素な角燈籠→人形の「組みネプタ」→扇型のネプタ、へと形態変化
流し」から「運行」や「練り歩き」を楽しむ形に変化しつつある。
■変遷
文禄2年(1593)藩祖為信公が京都の盂蘭盆会での趣向として二間 四方の大燈篭を作らせたとの伝承。
享保7年(1722)「御国日記津軽藩日記)」:五代藩主津軽信寿公が「称むた流」を高覧したとある。
安永7年(1778)「奥民図彙(おうみんずい)」:「子ムタ祭の図」で七夕祭りと説明。
天明6年(1786)「山田家記」:「七夕祭り、例年の通り賑々しく」とある
天明8年(1788)「子ムタ祭之図」:七夕祭、織姫祭、二星祭などの文字が記されている。大きなものは四〜五間。担ぎネプタ。ろうそく照明。
寛政5年(1793)「奥民図彙」に縦長の燈籠の絵。
1840年頃弘前市の史書:高さ9m以上のネプタが一般的であり、天保12年(1831)に黒石藩で高さ14〜16mのネプタが運行されたと記述。
文久(1861-4)「津軽年中風俗画巻(平尾魯仙画)」:「見送り」「高欄」らしきものが描かれ「組ネプタ」の萌芽が見られる。
天保2年(1831)〜明治4年(1871) 「分銅組若者日記」:「七夕祭」の名称でネプタ行事、ネプタ燈籠の絵柄100点を記録。担ぎネプタ。最大9間(16m)。
明治2年(1869)「伊藤善五郎家文書」:青森市浜町町会では高さ約20メートルのネプタ「宝船」の百人担ぎが行われたと記録。
明治6年(1873)菱田重喜県令:ねぶた禁止令を発令。以後9年間禁止。
明治〜大正:「開き」が考案され、「高欄」と「額」を改良した「組ネプタ」が完成。「額」の上に「開き」をつけ扇と結合した「扇ネプタ」が登場。
昭和〜平成:バッテリーや発電機を使用して、照明はろうそくから電気に移行。回転装置や昇降装置が登場。
昭和45年(1970):大阪万国博覧会にねぶた出展。
昭和55年(1980):弘前ネプタ青森ねぶた重要無形民俗文化財の指定を受ける。
■意味深長
津軽藩の藩祖津軽為信公の幼名が「」であったことと「扇ネプタ」は関係ありやなしや!?
漢雲」は右から読んで「うんかん」となり、中国での「天の川」を意味する。ネプタ祭りが「七夕祭り」から発展した名残か!?
ネプタの下にある皿のような部分を「開き」と呼ぶ。津軽藩主津軽家の家紋が「牡丹」であることと、「開き」に描かれる「牡丹」の花は関連がありやなしや!?
■こぼれ話し
明治4年、弘前で五所川原ネプタと弘前ネプタが大喧嘩をしたそうな。
明治16年(1888)、ネプタの高さ一丈八尺(約5.4メートル)以上から罰金を課すとの通達があったそうな。
五所川原ネプタは、大正時代には高さ約20メートルもあり、隣町の金木町からも見えたそうな。
   <青森花火大会> 青森県青森市 2006年 8月7日撮影
青森ねぶた祭りの最後を飾る花火大会を楽しみました。

青森港会場の西にある「みちのく北方漁船博物館」の海岸突堤に座って眺めていました。まわりでは、バーベキューセットを持参したグループがサザエやホタテを焼くいい臭いがしていました。
ねぶたの海上運行は18時45分から19時15分まで、花火は19時から20時30分ということでした。
ねぶたの海上運行は、ねぶたが本来は禊ぎを目的とした精霊流しの伝統を反映したもののようです。


■左の写真は平成16年に復元された北前船「みちのく丸」。全長32m、全幅8.5m、深さ3m、帆柱までの高さ28m、千石積(重量150トン)。
■北前船は日本海の海運を担った廻船で、日本海地域の廻船に対する上方・瀬戸内方面での呼称。大坂(大阪)を起点として年一往復で日本海沿岸と蝦夷地[えぞち](北海道)の湊を結び、各地で物資を売買した買積船。
■「みちのく北方漁船博物館」は国指定重要有形民俗文化財に指定されている木造漁船を中心とした和船のコレクションを展示しています。
アスパムの左上のあたりに花火が開きました。小さい写真の上にマウスポインタを置くと写真が変わります。
ねぶたの海上運行がある間は控え目な花火のような気がしました。小さい写真の上にマウスポインタを置くと写真が変わります。
ミッキーマウス?も出てきました。小さい写真の上にマウスポインタを置くと写真が変わります。
海上運行が終わった頃からか、打ち上げの間隔が短くなってきました。二カ所からシンクロナイズして打ち上げられていました。
最後に向かって大玉が上がりました。小さい写真の上にマウスポインタを置くと写真が変わります
花火の始まる前、青森港に寄港した客船「飛鳥U」が見えていました。右の方にアスパムの三角形が見えています。
<ドカ雪> 青森県青森市 2006年 12月 3日撮影
ドカ雪が来た。アメダスでチェックすると青森市の積雪深は29cm。たったの一晩で、である。
なかなか積もらないなと思いながら、雪用タイヤに交換し、除雪用のスコップや車の雪落とし用のブラシなどを買い揃えておいて助かった。
遠出はあきらめ、街中を流してみた。
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朝起きたら、車は雪に埋まってました。
除雪車はスーパーヒーローだ。
市街地も一晩で雪景色。
雪は何もかも隠して美しい景色に変えてしまう。
<クリスマスイブ> 青森県青森市 2006年 12月 24日撮影
クリスマスイブなので、教会に行った後は落ち着いたバーで過ごしました。
日本キリスト教団青森教会(手ブレしてます)と本町カトリック教会。
青森教会で熊木晟二氏ご一家のクリスマスコンサートがありました。氏のバスが響き渡って心地よいひとときでした。
コンサートの後は市内のバーをはしごしました。小さなバー「Arrow」。
「Arrow」ではベルギービール「Orval」とポテトチップス。「Voice」ではマスターがシャンパンをサービスしてくれました。
一人の女性がカウンターに座り、「イブなのに、マスターに会うためだけにメイクしてきたの・・・」と言ったのが印象的でした。
クリスマスなのに、「お歳暮」と言ってマスターが注いでくれたJACOB'S CREEK'。人影の少ない街角にクリスマスのイルミネーション。
<善知鳥神社> 青森県青森市 2007年 1月 3日撮影
皆さん あけましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。
青森県で最も初詣の人出が多いと言われている善知鳥神社に行ってみました。今年は1、2日で15万人が参詣したそうです。
善知鳥神社はウトウジンジャと読むそうです。青森市の辺りは昔、善知鳥村と呼ばれていたそうです。
ウトウという鳥は昔は青森の外ヶ浜でも見かけたそうですが、今は北海道天売島にたくさん生息しているそうです。
善知鳥神社の幟と日の丸が目をひく。
参道の提灯の日の丸が目をひく。
<さくら> 青森県青森市 2007年 4月 29日、 5月 1日撮影
今年は青森市内で花見をしました。
合浦公園と桜川通りで桜を堪能しました。
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合浦公園。
合浦公園。
桜川通り。
<久須志神社> 青森県青森市 2007年 7月 7日撮影
青森ではイベントの合図に打ち上げ花火が使われる。
夏の今頃の午後5時には連日花火の炸裂音が聞こえ、宵宮の開幕を告げている。
青森市浪館通りにある久須志神社の宵宮に行ってみた。
神社の前の道路にはたくさんの出店があり、若者達でごった返していた。
☆写真をクリックしても大きくなりません☆
長い列の先には拝殿。境内、歩道からはみ出した人が車道を行く。
子供の頃の夜店の記憶はいつまでも残る。
おばさんが活躍する夜店。
祭りの定番。
薄暗いところでこそ繁盛する食べ物があるような気がする。
皆の想い出。
<ねぶた小屋> 青森県青森市蒼い海公園 2007年 7月 15日撮影
ねぶたは一堂に会して一斉に制作されている。
三角形の青森県観光物産館アスパムの海側にある青い海公園にねぶた小屋が立ち並んでいる。
この時期、この場所をラッセランドと呼び、5月から22の小屋でねぶたが制作されている。
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私たちのねぶた自主製作実行委員会。「真武・妖魔を導く」
県庁ねぶた実行委員会。「達磨大師」
アスパムとねぶた小屋。
<青森ねぶた祭り> 青森県青森市 2007年 8月 2日撮影
青森ねぶた祭りの初日。
子どもねぶたが中心の運行。人出はやや少な目だった。
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港町々会ねぶた。囃子方。
「達磨大師」。
「鍾馗・邪鬼を誅す」。
「呉軍の先鋒・鈴の甘寧」。「石橋」。
跳人。囃子方。
<青森ねぶた祭り> 青森県青森市 2007年 8月 6日撮影
青森ねぶた祭りの夜の合同運行は6日が最後。
ねぶたの各賞も決まり晴れ晴れと夏の最後を噛みしめる。
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最後の運行へ。
大賞受賞の山車。
気合いが入る。
乗りに乗る。
和気あいあい。
一致団結。
力強く。
まだまだやるゾ!
暑い。
運行を終えて。
運行を終えて。
熱狂の後。
祭りを終えて。
夏の終わり。
岩木山ミニ知識
■ねぶたの由来
身についた罪や穢(けが)れを川や海の水で洗い清める禊ぎ(みそぎ)を目的とした行事が起源
農作業が忙しく暑さの厳しい夏に襲ってくる睡魔を追い払う「眠り流し」に変化
江戸時代、七夕祭り松明流し精霊流し眠り流し盆燈篭などが変化した。
簡素な角燈籠→人形の「組みネプタ」→扇型のネプタ、へと形態変化
流し」から「運行」や「練り歩き」を楽しむ形に変化しつつある。
眠り流し→ねむた流し→ねむた→ねぷた、ねぶた
「佞武多」、「禰ふた」の字をあてることもある。
■変遷
文禄2年(1593)藩祖為信公が京都の盂蘭盆会での趣向として二間 四方の大燈篭を作らせたとの伝承。
享保7年(1722)「御国日記津軽藩日記)」:五代藩主津軽信寿公が「称むた流」を高覧したとある。
安永7年(1778)「奥民図彙(おうみんずい)」:「子ムタ祭の図」で七夕祭りと説明。
天明6年(1786)「山田家記」:「七夕祭り、例年の通り賑々しく」とある
天明8年(1788)「子ムタ祭之図」:七夕祭、織姫祭、二星祭などの文字が記されている。大きなものは四〜五間。担ぎネプタ。ろうそく照明。
寛政5年(1793)「奥民図彙」に縦長の燈籠の絵。
1840年頃弘前市の史書:高さ9m以上のネプタが一般的であり、天保12年(1831)に黒石藩で高さ14〜16mのネプタが運行されたと記述。
文久(1861-4)「津軽年中風俗画巻(平尾魯仙画)」:「見送り」「高欄」らしきものが描かれ「組ネプタ」の萌芽が見られる。
天保2年(1831)〜明治4年(1871) 「分銅組若者日記」:「七夕祭」の名称でネプタ行事、ネプタ燈籠の絵柄100点を記録。担ぎネプタ。最大9間(16m)。
明治2年(1869)「伊藤善五郎家文書」:青森市浜町町会では高さ約20メートルのネプタ「宝船」の百人担ぎが行われたと記録。
明治6年(1873)菱田重喜県令:ねぶた禁止令を発令。以後9年間禁止。
明治〜大正:「開き」が考案され、「高欄」と「額」を改良した「組ネプタ」が完成。「額」の上に「開き」をつけ扇と結合した「扇ネプタ」が登場。
昭和〜平成:バッテリーや発電機を使用して、照明はろうそくから電気に移行。回転装置や昇降装置が登場。
昭和45年(1970):大阪万国博覧会にねぶた出展。
昭和55年(1980):弘前ネプタ青森ねぶた重要無形民俗文化財の指定を受ける。
■意味深長
津軽藩の藩祖津軽為信公の幼名が「」であったことと「扇ネプタ」は関係ありやなしや!?
漢雲」は右から読んで「うんかん」となり、中国での「天の川」を意味する。ネプタ祭りが「七夕祭り」から発展した名残か!?
ネプタの下にある皿のような部分を「開き」と呼ぶ。津軽藩主津軽家の家紋が「牡丹」であることと、「開き」に描かれる「牡丹」の花は関連がありやなしや!?
■こぼれ話し
明治4年、弘前で五所川原ネプタと弘前ネプタが大喧嘩をしたそうな。
明治16年(1888)、ネプタの高さ一丈八尺(約5.4メートル)以上から罰金を課すとの通達があったそうな。
五所川原ネプタは、大正時代には高さ約20メートルもあり、隣町の金木町からも見えたそうな。
■ホントの話??
坂上田村麻呂が蝦夷と戦った時、出陣で弘前の扇ネプタが使い、凱旋で青森の人形ねぶたを使ったと言う人あり。
そのためか、弘前ネプタは粛々と厳かな雰囲気で、青森ねぶたは勝利に酔って大はしゃぎするような「跳人」を引き連れている。
<花火・ねぶた海上運行> 青森県青森市青森港 2007年 8月 7日撮影
8月7日は青森ねぶた祭りの最終日。ねぶたの海上運行と花火がある。
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ねぶた大賞と知事賞を受賞したねぶたの海上運行。
八甲田丸の向こうに花火が上がった。  (小さな写真の上にマウスを置くと下の写真が入れ替わります)
八甲田丸の向こうには豪華客船「飛鳥U」が停泊。  (小さな写真の上にマウスを置くと下の写真が入れ替わります)
八甲田丸と花火。  (小さな写真の上にマウスを置くと下の写真が入れ替わります)
八甲田丸と花火。  (小さな写真の上にマウスを置くと下の写真が入れ替わります)
<ナッチャンRera> 青森県青森市青森フェリー埠頭 2007年 8月 26日撮影
青森と函館を結ぶ航路に高速船が就航する。
名前は「ナッチャンRera」、船体のイラストを描いた7才の川嶋なつみちゃんのニックネーム「ナッチャン」とアイヌ語の「風」を意味する「レラ」を組み合わせた。
フェリーとしては世界でもトップクラスの高速船で、4機のウォータージェット推進機で満載時36ノット(時速約67km)で運行される。
総トン数約10,000 トン、全長112.0m、船幅30.5mのアルミ軽合金製の双胴船。最大搭載人員800名、普通乗用車換算で約350台の車両を運ぶことができる。
試乗会では43ノット(時速約80km)まで速力を上げたが、大きな船体のためかスピード感はない。
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青森港フェリー埠頭に係留された「ナッチャンRera」。ゆったりした船内。
双胴船。2条のウォータージェット推進の航跡を引く。
<津軽弁の日> 青森県青森市文化会館 2007年 10月 23日撮影
方言詩人高木恭造さんが亡くなった翌年の命日から、毎年10月23日を「津軽弁の日」として今年は20回目。
昭和6年に方言詩集「まるめろ」を発行、70年以上の年を越えて現代の津軽人達に元気を与えている。
「津軽弁の日やるべし会」64名の一人として「津軽弁の日」公演の舞台裏を歩いた。
涙をちょちょ切らせ腹をねちけらせる観客のどよめきに圧倒された。
川柳、俳句、短歌、詩、体験記の津軽弁作品は面白く、楽しく、哀しく、せつない。
出演者の絶妙な朗読と軽妙洒脱な解説で、まさに笑い泣き劇場と化す。
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青森市文化会館大ホールの楽屋。
打ち合わせするやるべし会。
開門4時間前、これだけの人が待つ。
舞台準備が進む。
舞台でのリハーサル。
和気藹々と進むリハーサル。
ゲストのリハーサル。
熱の入ったリハーサル。
テレビの取材。
ようやく開場。
チケットのも切りもそこそこに走り込む。
本番の主役達。
会場の様子。
観客のどよめき。クリックするとスライドショーが見られます。写っている皆さんごめんなさい・・・でも皆さん幸せな笑顔です。
<食材の秋> 青森県青森市 2007年 11月 4日撮影
青森の秋は食材が溢れる季節。
国は6月を食育月間と定めているが、青森では多くの食材が出回る収穫の秋11月も食育月間と定めている。
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キノコとリンゴの季節。
サカナ。
<青函連絡船・八甲田丸> 青森県青森市 2007年 11月 4日撮影
青函連絡船メモリアルシップとして青森港に係留されている「八甲田丸」を見学してきた。
青森港と函館港を往復していた青函連絡船。国鉄直営青函航路には1908年から1988年までの80年間に56隻の船が就航。
八甲田丸は1964年8月12日から23年7ヶ月の歴代最長就航期間を誇り、青函連絡船の最終航行を務めた。
青函航路では船と競うように泳ぐイルカがたびたび見られたということで、連絡船のシンボルマークのキャラクターにイルカが使われていた。
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青森は市街地と港がたいへん近い。青い海公園の海ぎわはウッドデッキのプロムナードになっている。
ベイブリッジ展望台から青森港を見る。ラブリッジ(歩行者専用)が青い海公園に伸びている。
ベイブリッジのすぐ傍に八甲田丸は係留されている。
鉄道連絡桟橋。連絡船内部から車輌搬入口の扉を見る。
車両甲板には実物の車両が展示されている。天井の配管が面白い。
郵便車スユニ50。
操作した人々の体温が伝わってくる。
「これより海面下」という表示の階段を降りるとエンジンルーム。ディーゼルエンジンが8基据えられている。
排気管。
操舵室。通信室。
航海甲板。
<農林水産祭> 青森県青森市 2007年 11月 11日撮影
平成19年度青森県農林水産祭が10日、11日の両日開催され、83の団体が130のブースを展開した。
試食販売は、加工品を手がけた本人から直接お話が聞けるのが面白い。試食でお腹一杯になった。
。農林水産祭会場は青森産業会館。お米大使は子どもたちの人気者。
まるめろ、ラ・フランス、ミニトマト・・・・。
歯ごたえが心地よいシャモロック。青い森の牛乳と飲むヨーグルト。
ブドウの香りがステューベン大福。紅玉を使ったアップルパイ。
きのこ、黒大豆、ハトムギ、ヨクイニン・・・。
野菜。
様々な用途がある木炭。柔らかい手触りの布ぞうり。
<青森市夜景> 青森県青森市合子沢記念公園 2007年 11月 17日撮影
青森市街と八甲田との間、八甲田北麓に合子沢記念公園がある。
青森市街を一望できるので、夜景を撮ってみた。

南の空にはオリオン座が昇ってくるところだった。
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青森市の夜景。
青森市の夜景アップ。
<クリスマスイブ> 青森県青森市 2007年 12月 24日撮影
昨年に続いて、教会に行ったあとは落ち着いたバーで過ごしました。
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日本キリスト教団青森教会でクリスマスコンサートがありました。
日本キリスト教団青森教会は落ち着いたエントランス。
La Marte。シンプルで落ち着いた雰囲気。
La Marte。カウンターの端は端切れている。
La Marte。マスターは青森の食材を使って創作料理にチャレンジする。時に失敗もあるという。
VOICE。シャンパングラスの演出でお出迎え。変わらぬおもてなしがいい。
VOICE。ウォッカのストレートとチェイサー。
<よさこいソーラン・AOMORI春フェスティバル> 青森県青森市新町 2008年 5月 4日撮影
青森駅前から東に伸びる新町通りで「よさこいソーラン」が行われた。
ゴールデンウィーク恒例の第3回AOMORI春フェスティバルの催しの一つで、全国各地から29チームが参加した。
春フェスタには15万人が訪れたそうだ。
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暮れていく新町通りで始まった。
激しく楽しく。
ダイナミックな旗の動き。
静と動。
ライトに映える。
<陸上自衛隊第9師団訓練展示> 青森県青森市浪館 2008年 6月 1日撮影
雨の中、陸上自衛隊第9師団の迫真の訓練展示を見てきました。
陸上自衛隊第9師団は青森市浪館に駐屯し、北東北3県を守備している。
雨の中の観閲。
自衛隊関係者は傘をささないようです。
機動部隊。
オートバイ部隊の偵察。
敵ヘリコプターを迎撃。
ヘリから降下。
迫真の歩兵。
敵戦車を迎撃。
戦車による打撃。
総攻撃?
 ■青森県写真集■
<雨中の青森ねぶた> 青森県青森市  2008年 8月 3日撮影
青森のねぶた祭りの季節になったが、初日(8月2日)から雨に降られた。
雨が降っているので、初日は家でゴロゴロしていたら、ビニールで包まれた大型ねぶたの映像がテレビで流れたのに驚いた。
雨をついて出陣する大型ねぶたを撮りたいと思い、2日目は傘を持って会場に行った。
クラゲに入ったポニョのような大型ねぶたの姿だった。
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時折強く降る雨に囃子方はかえって燃えるようだ。
雨でも平気。
クラゲに入ったポニョのような大型ねぶた。
うまいこと包まれている。
竜はビニールを突き破っている。
観客は居なくなってもハネトはノリノリ。
 ■青森県写真集■
<ねぶた小屋> 青森県青森市 青い海公園 2008年 8月 6日撮影
今年も青森港のど真ん中にある青い森公園にねぶた小屋が設置された。
4月から22台の大型ねぶたが製作された。
無料のねぶたガイドの解説を聞きながら、製作の様子を見ることができる。
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青森県観光物産館「アスパムノ」の海側にねぶた小屋が設置される。
大型ねぶたの前には記念撮影用のお立ち台が置かれている。
(1)青森パナソニックねぶた会 「義経千本桜 『狐忠信』」 作:千葉 作龍
(2)青森市役所ねぶた実行委員会 「歌舞伎『百獣の王 連獅子』」 作:穐元 和生  →夜の姿
(3)サンロード青森 「十和田湖幻想 『南祖坊と八之太郎』」 作: 千葉 作龍  →夜の姿
(4)青森菱友会 蓬田村伝説 「金光上人と阿弥陀川」 作:竹浪比呂央
(5)日立連合ねぶた委員会 「菅原道真 雷神と化す」作:北村 蓮明
(6)青森自衛隊ねぶた協賛会 「義経渡海」 作:有賀 義弘
(7)消防第二分団ねぶた会・アサヒビール「 天下布武 『信長の野望』」 作:千葉 作龍  →夜の姿
(8)NTTグループねぶた 「神武東征」 作:内山 龍星
(9)ヤマト運輸ねぶた実行委員会 「花和尚・魯智深」 作:北村  隆
(10)青森県板金工業組合 「風雪、吉野山の決戦」 作:北村 蓮明
(11)青森山田学園 「忠臣児島徳と范蠡」 作:北村  隆
(12)(社)青森青年会議所 「聖徳太子現る」 作:内山 龍星 <写真なし> →夜の姿
(13)東北電力ねぶた愛好会 「源義経 『鵯越の逆落とし』」 作:穐元 和生  →夜の姿
(14)県庁ねぶた実行委員会 「左甚五郎造像 『仁王』」 作:穐元 和生 →夜の姿
(15)私たちのねぶた自主製作実行委員会 「堤弾正、荒川を鎮める」 作:佐々木 武蔵
(16)ねぶた愛好会 「韋駄天」 作:諏訪 慎
(17)マルハニチロ侫武多会 「黒旋風李逵」 作:竹浪比呂央
(18)に組・東芝 決戦 「川中島」 作:村元 芳遠
(19)JRねぶた実行委員会 「将門の神霊 瀧夜叉を救う」 作:竹浪比呂央  →夜の姿
(20)あおもり市民ねぶた実行委員会 「覇邏王・ラムセス二世」 作:京野 和鴻  →夜の姿
(21)青森市PTA連合会 「義平推参」 作:内山 龍星  →夜の姿
(22)日本通運ねぶた実行委員会 「安倍晴明」 作:柳谷 優浩
 ■青森県写真集■
<青森ねぶた> 青森県青森市 2008年 8月 6日撮影
期間はじめの2日間は雨に降られたが、後の4日間は良い天気だった。
雨で壊れた部分を徹夜で修復された大型ねぶたは生き生きと練り歩いた。
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(社)青森青年会議所の「聖徳太子現る」 と 県庁ねぶた実行委員会の「左甚五郎造像 『仁王』」
青森市PTA連合会の 「義平推参」 と 消防第二分団ねぶた会・アサヒビールの「 天下布武 『信長の野望』」
JRねぶた実行委員会の 「将門の神霊 瀧夜叉を救う」 と サンロード青森の 「十和田湖幻想 『南祖坊と八之太郎』」
青森市役所ねぶた実行委員会の 「歌舞伎『百獣の王 連獅子』」 と 東北電力ねぶた愛好会の 「源義経 『鵯越の逆落とし』」
新町通りは狭いのでねぶたと観客が近い。
ねぶたが見得を切る間は行列が停まる。囃子方は沿道に向かって演奏する。
運行最終日はお疲れか?夏の終わりを惜しむ。
<飛鳥U・青森港> 青森県青森市 2008年 8月 6日撮影
総トン数 50,142トンの客船「飛鳥U」が今年も青森港に入港した。
8月7日のねぶた最終日に行われる大型ねぶた海上運行と青森港花火を海上から観覧する日程でやって来ている。

青森港は埠頭と市街地が近いので、船客たちは船から歩いて散策に出かけることができる。

夏の太陽の下で、三角形の白い灯台、正三角形のアスパム、ベイブリッジの斜張橋ピアと停泊中の白い船体を眺めると、むかし行ったエーゲ海のようにゆったりした気分になる。
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白い巨体の飛鳥U。
夏の日差しに北国であることを忘れる。
日差しは強いが陰に入ると風が心地よい。
 ■青森県写真集■
<だびよん劇場の人々> 青森県青森市 2008年 9月 25日撮影
昔、「だびよん劇場」という名の酒場があった。
この劇場=酒場の主宰者だった牧良介さんの17回忌に青森市民ホールの舞台に酒場が再現された。
「なんぼごんぼ掘ってもニコニコしていた」という牧良介さんの包容力の大きさに甘え、その人柄を慕い、多才な人々が集まっていたという。
    (ごんぼ掘る=ごねたりくだをまくこと)
舞台は、忙しい牧良介さんは出歩いているので今夜は酒場に顔を出せないが、電話の向こうで出演するという設定だった。
パンフレット「序」より、
『「だびよん劇場」は酒場であり、ライブハウスであり、牧良介との喋り場であった。
今夜も、さまざまな客が集まっている。ツケが溜まった常連、主(ヌシ)をひと目みたいという遠来の客、主に相談事をという近くの客・・・・・。
ごっちゃになる頃、多彩なゲストが顔を出す。永六輔、三上寛、伊藤多喜雄・・・・・。
いまは思い出となった、あの酒場がよみがえり、酔いはトロトロ、喋りは吐露吐露、・・・・・いつものように、「だびよん劇場」の夜が更ける。』
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青森市民ホールに再現された「だびよん劇場」。
メニューは当時のものが使われている。
座布団の図柄は、伊奈かっぺいさんが描いた牧良介の肖像。
開演の3時間も前から並び始めた。
満席。
牧良介さんの映像で始まった。
舞台では酔客が本当のビールを飲んでいた。
特別ゲストの語りと歌。
はい。「だびよん劇場」です。ありゃ、牧サン。今どこですか?今夜は星空がきれいだって?
はい。だびよん劇場です。どちら様・・・ああ牧サンですか。みんなで歌っているうちに戻るべど思ってましたが、どこさ ひかがってました?ん?
終わりました。
<津軽弁の日・第21回> 青森県青森市文化会館 2008年 10月 23日撮影
昨年に引き続き「津軽弁の日」の写真記録を担当した。
応募作品総数1294作品(県内977作品、県外317作品)から、詩、俳句、短歌、川柳、体験記の各部門5つの入選作品を朗読・表彰した。
面白いことに、「参考作品」というものがあり、作品集に掲載され、本番でも朗読紹介される。
朗読のリズムや、情景の設定によって意味合い・ニュアンスが違ってくるようなのである。津軽弁の奥深さが窺える。
朝早くから並ぶ人あり、蛇行に蛇行を重ねて列を作る。
16:00早めの開場。先頭は朝7時半から並んだそうだ。パンフレットを受け取るのもそこそこに会場に駆け込む。
楽屋では様々な準備が進められている。
楽屋でも津軽弁を楽しむ。
1000名以上入る座席は満席なので、開演前に空き席を埋めるやりとりが楽しく行われる。
特別ゲストの笑福亭談笑さん。津軽弁の難解さを面白可笑しく落語にした演目を披露。
津軽弁の日第21回本番の舞台。
出演者自身が楽しむ舞台。
満席の会場。車椅子の方も観覧。
終演とともに緞帳が降りたら大急ぎで退場する。
会場出口にはマルメロ(無料)と入賞作品集(500円)が待っている。
<雨の街・青森市> 青森県青森市 2008年 11月 8日撮影
青森市中心商店街は全天蓋型アーケードがないので、雨の日はイルミネーションで艶めく。
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新町商店街。自転車道と車道を隔てるフットライトが良い感じ。
パサージュ広場。暖色系の灯りで地中海的?
パサージュ広場。小さなお店が息づく。
アウガ。青森市の複合施設はカラフルだ。
駅前広場からベイブリッジが見える。青森駅と港が近い。
ラビナ。
暖かなお店の佇まい。
<朝の情景・青森港、油川漁港> 青森県青森市 2008年 12月 20日撮影
青森市の西部にある油川漁港から八甲田山系の朝焼けを眺めた。
西から雨が降り始め、朝日を浴びた雨雲に虹がかかった。
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油川漁港。
太陽が顔を出し漁船を照らした。。
未明から淡々と作業する船がいた。ミニコンビナートのような精細な構造を持っている。
朝日が差してきた。
タグボートの自己主張するタイヤ。
海に面した三角形のアスパム。
<虹・青森港、油川漁港> 青森県青森市 2008年 12月 20日撮影
西の方から雨雲が迫ってくる天候の中、油川漁港で朝焼けを見ていた。
雨粒を傘で防ぎながら明るくなってくる東の山際にレンズを向けていて、ふと振り返ると薄暗い西の方角に虹が立ち上がっていた。
油川漁港では雨が激しくなってきたので、青森港に移動して虹を眺めた。
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ちょうど八甲田丸から虹が立ち上っていた。よ〜く見ると三角形のアスパムからもすっすらと虹が立ち上がっている。
虹の大きさを感じた。
油川漁港で朝焼けを眺めた。
<吹雪く年末> 青森県青森市古川 2008年 12月 27日撮影
青森の古い面影を残す古川には、30年来注連縄を売っているというおばさんたちがいる。
アーケードの下でも吹雪くと店は雪まみれになる。
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練炭を入れたりんご箱に毛布をかぶせて暖をとりながら正月飾りを商う。
にこにこ通りのアーケードの下、売っているのはおばさんばかりだ。
りんご店も年末の追い込みだ。
りんごには適度な冷蔵になるのかな。
<アスパムからの眺め> 青森県青森市 2009年 1月 17日撮影
青森県観光物産館「アスパム」13階にある展望台に、初めて登った。
雪雲が束の間切れ、雪景色の青森市街を俯瞰できた。
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南方向を俯瞰。残念ながら八甲田連峰は雲に隠れていた。
青森港のシンボル「ベイブリッジ」周辺。水産ビルと八甲田丸。
海側を俯瞰する。正三角形の大きな影。
青い海公園。円形劇場と足跡。
雪面のうごめき。
<雪の日・青森市内> 青森県青森市 2009年 1月 25日撮影
天気予報では雪となっていたが、万が一朝日が見られるかもしれないと思い、早起きして市内を彷徨った。
予報どおり大きな軽い雪がシンシンと降り続いていた。
風がなかったので、市内の木の枝は雪化粧して美しかった。
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いつも渡る踏切は北海道への貨物線だ。
青森港。
浜町埠頭は雪捨て場だ。
大きな軽い雪が降り積もる。
茶屋町公園のメタセコイヤ。
<アスパム夜景> 青森県青森市 2009年 2月 21日撮影
青森港青い海公園の東の端からアスパムを眺めた。
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ベイブリッジの橋塔を従えた姿は堂々としている。
<アスパムからの夜景> 青森県青森市 2009年 2月 28日撮影
先週の21日に続いてアスパム13階展望台からの眺めを楽しんだ。
青森市街や青森港の夜景に加えて、夜景写真を撮る観点からは酷なイルミネーションではあるが展望台の雰囲気も面白かった
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13階展望台のイルミネーション。
遙かに岩木山のシルエットが見える。
かわたれ時、街の明かりが灯り始めた。
アウガを取り囲むようにビルが建つ。ベイブリッジの下にJR青森駅のプラットフォームが伸びる。
雲谷スキー場が浮かび上がる。ベイブリッジとアスパム通りの灯り。
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